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震災時に露呈した千葉県保守県政の弊害

 千葉県知事選挙の投票日が迫っています。日本共産党は、自由党・新社会党・緑の党・市民ネットとともに、すみや信一候補を推しています。
 これまで、大変残念な事に、戦後の民主化によって知事が公選制になって以来、千葉県で革新県政が誕生した事はありません。
 その弊害を象徴するのが、下記の表です。

東日本大震災で、千葉と東京は隣接しているにも関わらず、液状化の被害件数は大差がありました。
その理由を知り合いの一級建築士の方は「当時の知事の違い」と説明してくれました。

 これは、6年前の大震災における、液状化現象の被害発生件数のリストです。
 川一つ隔てただけなのに、千葉と東京における被害件数の違いは顕著です。
 実際、自分の経験でも、あの頃、千葉の埋立地の被害は甚大だったのに、東京の埋立地の被害はほとんど聞きませんでした。
 不思議に思って、以前の仕事でお世話になった一級建築士に尋ねたところ、即座に、「それは東京と千葉の知事の違いによるものです」と答えられました。

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「自己責任論」と椅子取りゲーム

 20世紀末から、新自由主義に基づいた「構造改革」により、格差が拡大しました。
 富裕層や一部大企業が巨万の富を蓄え、それを年々増やし続ける一方、中間層が減って貧困に苦しむ人が増えました。
 アンケートに対し「生活が苦しい」と答える人の比率は20年前は42%でしたが、最近では60%となっています。
 そのように生活が苦しくなった人が増えた時、急速に広められた思想が「自己責任論」でした。
 辛い目に遭うのは、自分の行動が間違っていたり、努力が足らなかったからで「自業自得」なのだ、という考え方です。
 その結果、現在においても、低賃金・長時間労働などで苦しめられている人が、これは「自己責任」だと思わされている事例が多数存在します。
 しかし、今の貧困問題は、本当に「自己責任」なのでしょうか。

 それを説明する、分かりやすい例として、「椅子取りゲーム」が挙げられます。
 これは、椅子を一つ一つ減らしながら、着席を競うゲームです。椅子が減るのですから、当然、座れない人が出てきてしまい、その人はゲームから弾き飛ばされます。
 このゲームと、ここ20年ほどの新自由主義経済は非常によく似ています。
 企業が短期的な利益を上げる事を最優先するようになりました。
 それを実現する手っ取り早い方法は、「人件費の削減」です。
 そのため、正社員を削減して非正規雇用を増やす、残った正社員も賃下げ・労働強化により、賃金1円当たりの利益を増大させる、という事が多くの会社で行われてきました。
 そして、かつては当たり前であった「8時間働いて普通に暮らせ、安定した将来の見通しがある社員」は、年を追うごとに減らされていきました。
 要は、「安定した働き方」という椅子がどんどん減っていき、その椅子に座れずに社会から弾き飛ばされた人が「自己責任」と言われているわけです。
 確かに、その人がもっと上手く立ち回れば、「椅子」に座り続けることができたかもしれません。しかし、その代わりに別な誰かが、「椅子」から弾き飛ばされるわけです。

 このようにまとめると、「自己責任論」なるものが、根本から間違っている事がわかるかと思います。
 財界並びに、そこから多額の献金を受けた自公政権が意図的に、「安定した働き方」という椅子を減らし続けてきたわけです。
 したがって、その「椅子」から弾き飛ばされる人は絶対に出てきます。その被害者がゼロである、という事は絶対にありません。
 そして、「椅子」の数を減らすす事により、一部大企業は利益を増やし、富裕層はその資産を増やしました。
 その結果生じた、「椅子に座れなかった人」に「自己責任論」を押し付けているわけです。
 それに飽き足らず、今後もさらに「椅子」を減らし、自分たちの利益・富を増やそうとしています。
 たまたま、まだ椅子に座れている人でも、いつ弾き飛ばされて「自己責任」だと言われるかわかりません。ほんのちょっとしたきっかけで、誰にもそのリスクはあります。
 それを防ぐためにも、椅子を減らす今の政策から、皆が安心して生活できるために、椅子を増やす政策に変える必要があります。

 

「長時間労働は日本の文化」は本当か?

 電通の過労自殺事件以来、長時間労働問題が話題になっています。
 その中で、よく出てくる言葉に「長時間労働は日本の文化である」という言葉があります。
 しかし、これは本当なのでしょうか。

 たとえば、イギリスの例で考えてみます。
 イギリスで働いている人のブログなどを見ると、いずれも、定時で上がる風習について驚いています。
 17時が定時で、それから3分もすると、社内に誰もいなくなる、などという事例も紹介されていました。
 「長時間労働が日本の文化」なのでしたら、「定時労働はイギリスの文化」という事になります。
 しかし、これは事実ではありません。イギリスもかつては長時間労働が幅をきかせていた国でした。

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