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「高度プロフェッショナル制度」で労働環境が絶対によくならない理由

 国会審議を通じて、「高度プロフェッショナル制度」なるものが、働くひとを長時間こき使う制度である事は明白になりました。
しかしながら、相変わらず政府・財界・一部マスコミは、「高プロ」導入の結果「柔軟な働き方ができるようになる」「成果に応じた働き方ができるようになる」という主張を繰り返しています。
 結論から言いますが、これは百パーセント嘘です。それは、労働基準法をの冒頭を読むだけでわかります。
労働基準法の第一章第一条は以下の様になっています。

第一章 総則
(労働条件の原則)
第一条 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
○2 この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。

 要するに、働くひとにとって、労基法の規定より有利な条件を決めても、労働基準法違反になることは絶対にないのです。
 よく宣伝されている「忙しいときは長時間労働し、暇な時は半日勤務」はもちろん、「営業職で年間の売上高が百万円を越せば成果給として五十万円のボーナスを出す」も、「年間の休日を200日にする」も、「使用者の命令を受けず、好きな日に働き、好きな日に休む」なども、今の労基法を一言一句変えなくても実現可能なのです。
 したがいまして、「高プロ肯定派」が言う、「高プロが実現すれば、労働時間に関わらず成果によって給与が払われる」も「高プロが実現すれば、好きな時に集中して働き、その分、好きな時に好きなだけ休める」もすべて事実ではないのです。

 では、高度プロフェッショナル制度はどんな働き方をもたらすのでしょうか。
 それは、高プロ導入のために変えられる労基法の文案を見ればすぐにわかります。
 厚労省のサイトに、改正案が掲載されています。リンク先PDFの11頁から13頁にかけて掲載されている、「第四十一条の二」にあたります。

 改正案の全文を読んでみました。しかしながら、そのどこにも「好きな時に働ける」とも「成果で報酬が支払われる」とも書かれていません。
 また、よく出てくる「年収1,075万円以上が対象」の記載もありません。「基準年間平均給与額の三倍相当と厚労省令で定める額以上」と書かれているだけです。
 なお、参議院の質疑で、日本共産党の吉良よし子議員が明らかにしましたが、毎月20万程度で、残り800万をプールして最後にまとめて支払うという方式にしても、問題ないと厚労省の担当者は答弁しています。
これを見ても、政府・財界、さらにはマスコミに出てくる「高プロ賛成者」が主張する「働くひとのメリット」が全て事実でないことは明白です。
※なお、この条文に対する詳しい解説は、佐々木亮弁護士のブログに書かれています。(前編後編真の後編)

 結局、高度プロフェッショナル制度の正体は、 これまで労基法で規制していた「労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定」を適用しない、という事だけなのです。
 分かりやすく言い換えれば、「一日休み無しで何時間働かせてもいいし、それに見合った残業代と深夜手当を払わなくてもいいよ」です。
 経営者は大幅な経費削減ができます。しかし、働くひとはこき使われるだけです。
 政府・財界・マスコミが宣伝している「成果で評価」「好きな時に働き好きな時に休む」などという「働く人の利点」は、一切存在しません。
 日本はただでさえ「ブラック企業」が大手を振って働くひとをこき使い、その結果として過労死が多発している国です。
 そこに、このような「ブラック労働」を合法化する高度プロフェッショナル制度が実現してしまっては、よりひどい「ブラック労働国家」になってしまいます。
 これだけ見ても、自公政権と維新が会期延長までして通そうとしている、働かせ方改悪(自称・働き方改革)が、働く人にとって百害あって一利なしであり、かつ働く人の命と暮らしを奪うものであることは明白です。絶対に実現させてはなりません。
 もし、強行採決で参議院を通って立法化されても諦めるわけにはいきません。その場合は、政権そのものを変え、新しい政府で、この改悪を元に戻すようにするのみです。

1区候補者として記者会見

 朝、稲毛海岸駅でご挨拶した後、県庁に移動して記者会見を行いました。
 いよいよ総選挙が近いのだな、と改めて実感させられます。
 初めて1区予定候補として会見したのは、1年4か月前でした。その後、市長選で、出馬記者会見および横顔取材をそれぞれ行なっています。
 一番最初のときは、少々緊張したものでした。しかし、通算四度目の今回は、かなりリラックスして話すことができました。

 最初は政策に関する質問でした。これについては、政策のページに記載してあるとおりですので、そちらをご参照願えればと思います。
 駅頭などで演説している政策をそのまま話せばいいので、これについては、かなりスラスラと答えられたと思っています。
 また、「千葉1区で実現させたいことは?」という質問がありました。そこで、市長選の争点でもあった、幕張新都心へのカジノ誘致阻止、および中央区で計画されている石炭火力発電所の計画撤回を挙げました。

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「自己責任論」と椅子取りゲーム

 20世紀末から、新自由主義に基づいた「構造改革」により、格差が拡大しました。
 富裕層や一部大企業が巨万の富を蓄え、それを年々増やし続ける一方、中間層が減って貧困に苦しむ人が増えました。
 アンケートに対し「生活が苦しい」と答える人の比率は20年前は42%でしたが、最近では60%となっています。
 そのように生活が苦しくなった人が増えた時、急速に広められた思想が「自己責任論」でした。
 辛い目に遭うのは、自分の行動が間違っていたり、努力が足らなかったからで「自業自得」なのだ、という考え方です。
 その結果、現在においても、低賃金・長時間労働などで苦しめられている人が、これは「自己責任」だと思わされている事例が多数存在します。
 しかし、今の貧困問題は、本当に「自己責任」なのでしょうか。

 それを説明する、分かりやすい例として、「椅子取りゲーム」が挙げられます。
 これは、椅子を一つ一つ減らしながら、着席を競うゲームです。椅子が減るのですから、当然、座れない人が出てきてしまい、その人はゲームから弾き飛ばされます。
 このゲームと、ここ20年ほどの新自由主義経済は非常によく似ています。
 企業が短期的な利益を上げる事を最優先するようになりました。
 それを実現する手っ取り早い方法は、「人件費の削減」です。
 そのため、正社員を削減して非正規雇用を増やす、残った正社員も賃下げ・労働強化により、賃金1円当たりの利益を増大させる、という事が多くの会社で行われてきました。
 そして、かつては当たり前であった「8時間働いて普通に暮らせ、安定した将来の見通しがある社員」は、年を追うごとに減らされていきました。
 要は、「安定した働き方」という椅子がどんどん減っていき、その椅子に座れずに社会から弾き飛ばされた人が「自己責任」と言われているわけです。
 確かに、その人がもっと上手く立ち回れば、「椅子」に座り続けることができたかもしれません。しかし、その代わりに別な誰かが、「椅子」から弾き飛ばされるわけです。

 このようにまとめると、「自己責任論」なるものが、根本から間違っている事がわかるかと思います。
 財界並びに、そこから多額の献金を受けた自公政権が意図的に、「安定した働き方」という椅子を減らし続けてきたわけです。
 したがって、その「椅子」から弾き飛ばされる人は絶対に出てきます。その被害者がゼロである、という事は絶対にありません。
 そして、「椅子」の数を減らすす事により、一部大企業は利益を増やし、富裕層はその資産を増やしました。
 その結果生じた、「椅子に座れなかった人」に「自己責任論」を押し付けているわけです。
 それに飽き足らず、今後もさらに「椅子」を減らし、自分たちの利益・富を増やそうとしています。
 たまたま、まだ椅子に座れている人でも、いつ弾き飛ばされて「自己責任」だと言われるかわかりません。ほんのちょっとしたきっかけで、誰にもそのリスクはあります。
 それを防ぐためにも、椅子を減らす今の政策から、皆が安心して生活できるために、椅子を増やす政策に変える必要があります。