月別アーカイブ: 2005年5月

自民党が成し遂げた「景気回復」

 かなり前ですが、TVの広告で、小泉首相が「自民党が景気回復を成し遂げた」という宣伝をしていました。そこで首相が挙げた「景気回復」の指標は「企業収益の増加」「倒産件数の減少」「不良債権額の減少」でした。
 しかし、一部の高所得者を除き、これを見て「そうか、景気がよくなっているのだな」と思う人などはいないでしょう。実際、この指標のいずれも、普通の人の生活には関係がない数字です。特に、「企業収益の増加」に至っては、正社員の賃金増を抑制しつつ労働時間増加および、低賃金の期間雇用者や派遣社員への置き換えが「収益増加の要因」となっている部分も少なからずあり、むしろ「生活の悪化」の原因とすら言えます。

 確かに、バブル崩壊の頃までは、「景気」と「生活」が連動していました。それこそ、バブル崩壊以前は「土地の値段が下がる事などない」というのが常識だったのと同様に、「景気が良ければ生活はよくなる」というのは常識みたいなものでした。
 しかし、首相自らが明かしたように、この「常識」はもはや過去のものとなってしまったようです。国会答弁などでは、「企業の収益拡大が国民生活に反映するのがことのほか遅いようだ」などと言っているようです。しかし、企業が労働者を低賃金で酷使して収益を上げた結果が「景気回復」の指標になっている限り、そのような「反映」は半永久的に実現しないように思えます。
 既に、自民党政府も財界も、かつての「景気と生活が連動する」という体制を捨てているわけです。にもかかわらず、その「過去の常識」を信じて、「自民党政府が景気回復のため」と言っているから、今は苦しいけれど、じきに良くなるはずだ、などと考えるのは向こうにとっては都合がいいでしょうが、耐える側にとっては意味があるのかははなはだ疑問です。
 なお、最近では「財政再建」を理由に、社会保障を減らし、税金を増やす方向で自民党政府は進めています。しかし、この「景気」についての考え方から類推すると、「財政」についても、国民は収奪ばかりされて、「財政再建」の恩恵にはあずかれない、という結果が待っているのでは、と思えてきます。

被害者と加害者を取り違えた報道

 JR西日本の安全軽視体質が起こした4月25日の福知山線の大事故について、3日あたりから奇妙な報道が流れています。まず、3日夜に「事故を起こした列車に乗って通勤していたJR西日本の運転手が、救助もせずに出勤した」という記事が出ました。続いて、4日には、「JR西日本の社員のグループが、当日、休暇を取ってボウリング大会を行い、事故が報じられても大会を中止しなかった」という記事が出ました。いずれも、「JR西日本の発表によるとそういう社員がいたことが分かった」という形で報じられています。
 この、当局などの発表記事を「という事が分かった」という形で各紙が一斉に報じる事については、メディアの辺境地帯さんが、「『分かった』ジャーナリズム」として、厳しく批判されています。今回のは、その「分かった」の情報源が、大惨事の最大の責任者であるJR西日本であり、そこの発表をそのまま掲載しているだけに、より異常と言えるでしょう。

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