月別アーカイブ: 2006年8月

首相の靖国参拝とかつての開戦

 8月15日に、小泉首相が靖国神社に参拝しました。今回もまた、毎度おなじみの破綻した「参拝した理由」を言っています。これについては当ブログや長文集で何度も批判してきました(不戦の誓い?小泉首相の「理解」力など)。したがって、ここでは「参拝の口実」についてではなく、この状況での靖国参拝と国益の関わりについて考えてみたいと思います。
 この参拝については、小泉首相の「主」であるアメリカや、「スポンサー」である財界からも、批判の声が日を増すごとに強まるばかりでした。それだけ、中国や韓国の反対および、対日関係の冷え込みが、アメリカの世界戦略や経済界にも悪影響をおよぼしているのでしょう。言い換えれば、それだけ中国の経済的に占める位置が大きくなっているわけです。
 もちろん、日本の侵略戦争を肯定し続けるような宗教施設に首相が特別な感情を持って参拝を繰り返す事は、それ自体が日本の未来のために良くない事です。したがって、中国・韓国の賛否や経済力がどうであろうと参拝すべきではありません。

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核兵器の脅威から守ってくれないもの

 61年前、日本の広島で核兵器の実戦投入が行われました。そして3日後には長崎で同じ事が行われました。そしてあわせて20万を越す人が死に、生き残った人でも火傷や放射能により、61年たった今でも苦しんでいる人がいるわけです。
 この、歴史上最大の日本人虐殺行為が行われる中、一方で日本は他国を侵略し続けていました。もちろん、最初の侵略先である中国はもちろんですが、東南アジアだの南洋のサイパンだのポナペだのにまで、兵士を送っていました。
 一応、高射砲など、空襲への対処も行っていました。とはいえ、「空襲対策」の基本方針はあくまでも疎開などといったもので、「空襲を防ぐ」ではなく、「空襲は仕方ないから逃げろ」というものでした。その一方で、侵略継続のために、空襲の恐怖にさらされる国民から生活必需品を供出させたり、松の根を掘らせたりしていたわけです。
 もちろん、1945年の状況だと、日本近海の制空権も制海権も奪われていたわけです。したがって、本土に空襲があったからといって、中国や南洋の日本軍が即座に引き返して本土防衛に回る、という事ができるわけはありません。とはいえ、敵軍の空襲で一般市民が命を奪われている中で、兵隊が外国で侵略行為を行い、さらにその軍隊を維持するために国民が生活を削らされ、その果てに核兵器を落とされて大量の死者が出た、というのは一見すると奇妙な構図です。

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