月別アーカイブ: 2006年9月

政治業者は「国民」をどう認識しているか

 この5年間で行われた「小泉改革」は、「国民に痛みを押しつけて格差社会を作ることにより、一部の層だけ大儲けする」というように日本の社会構造を「改革」したものでした。そして、安倍新首相もその路線をより露骨に進めようとしています。
 その結果、生じているのが、大企業の空前の利益と、それに反して下がり続ける勤労者の賃金です。請負などの非正規社員は超低賃金に泣かされ、ある程度安定している正社員も、労働時間は増える一方です。
 この傾向は今後も変わらず、さらに現在の財界が目指しているのが「残業のつかないホワイトカラーを増やす」なわけです。したがって時給換算にすれば、今後の働く人の賃金はさらに激減する一方になるわけです。
 その低賃金・長時間労働によって大企業の利益は増えました。それが「改革の成果」になっているわけです。

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「どう考えてもおかしい」週刊誌

 半月ほど前に、学校内で殺人事件が発生し、被疑者とされた少年が消息不明になり、指名手配されました(実際には事件直後に自殺)。これに対し、週刊新潮が、その少年の実名と顔写真を掲載しました。その理由は逃亡して指名手配されているのに、実名も顔写真も公開されていないことはどう考えてもおかしい。公表は犯人の自殺・再犯の抑止にもつながるとの談話を発表したそうです。
 この「逃亡して指名手配されているのに、名前・顔写真が載らないのはどう考えてもおかしい」というのはどういう論法なのでしょうか。私は週刊新潮をさほど読んでいるわけではないのですが、まさか毎週、「今週の指名手配犯」というコーナーがあって、全国各地の警察が指名手配した全ての容疑者の名前と顔写真を「自殺・再犯抑止のために」と言って掲載しているのでしょうか。
 それとも、まさかこの少年に限っては、極めて特殊な例で、実名と顔写真を掲載しないと自殺・再犯の可能性が極めて高まる、とでも言いたいのでしょうか。

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