働かせ方改悪(自称・働き方改革)における「上限規制」の正体

 今、安倍自公政権による「働かせ方改悪」(政府が使う言葉では「働き方改革」)が問題になっています。
 三つの新制度のうち、「裁量労働制の適用拡大」は、政府によるデータ捏造が暴かれて撤回されました。
 しかしながら、残る二つの、残業代ゼロ制度(政府が言うところの「高度プロフェッショナル制度」)と、過労死ラインの残業を容認する制度(政府が言うところの「残業時間の上限規制」)の導入について、安倍政権はいまだに諦めていません。
 いずれも働く人にとって百害あって一利ない制度です。それどころか、これらが実現してしまったら、働くひとの命と暮らしが破壊されてしまいます。
 今回は、そのうち、過労死ラインの残業を容認する制度の正体について書いてみます。

 まず、「残業時間の上限規制」という政府の宣伝文句自体に根本的な偽りがある事を指摘したいと思います。
 その「上限」というのは、「1.休日労働を含み、2か月ないし6か月平均で 80 時間以内 2 休日労働を含み、単月で 100 時間未満」厚労省サイト「時間外労働の上限規制等について(建議)」2ページより)というものです。
 要は、忙しければ、月100時間未満の残業をさせていい、と認めているわけです。
 この数字はどこから来ているのでしょうか。実は、厚労省が定めた「過労死ライン」である「発症前1か月間におおむね100時間ないし発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働」厚労省サイト「脳・心臓疾患の労災認定 -「過労死」」6ページより)が基準なのです。
 「未満」とか「以内」という言葉を使うことにより、一応、「過労死ライン」を割っている時間になっています。しかし、それによって生じる、過労死ラインとの「差」は1分程度のものです。
 つまり、「上限規制」というのは名ばかりで、実質は「過労死ライン」とほぼ同じ時間働いても合法にする制度、なのです。そのため、本稿でも「過労死ラインの残業を容認する制度」と表記しています。

 加えて言えば、この「過労死ライン」というのは、「この時間に達しなければ過労死する危険性が絶対にない」というものではありません。
 1ヶ月の残業が95時間でも過労死が認定された事例もありました。過労死ラインをちょっと割ったからといって、過労死のリスクは十分に残るのです。
 したがって、こんな「上限規制」では、過労死を防ぐことなどできません。

 これは他人に傷害行為をして出血させる事にたとえるとわかりやすいかもしれません。
 人間は血液の30%を失うと生命の危機となるそうです。
 ならばと「他人の血液の29%以上を失わせた場合、殺人行為とする」という規定を作ったらどうなるでしょうか。
 別に「30%以下なら絶対に死なない」などという事はありません。にも関わらず、こんな規定を作ってしまったら、28%の血液を失わせて命を奪っても殺人行為にならなくなってしまいます。
 今回の安倍政権が導入しようとしている、「1ヶ月100時間未満、2ヶ月ないし6ヶ月平均80時間以内」というのは、このたとえで挙げた「29%以上の失血させたら殺人」と同じです。
 こんな規定ができたら、どのような事が起きるでしょうか。
 今までなら過労死として認められた「1ヶ月で95時間残業して死亡」で過労死・過労自殺として認定されています。
 しかし、安倍政権の目指す「上限規制」が成立してしまったら、同じような死亡案件が、「法律で定められた上限より短いから、過労死と認定しない」という運用が行わる危険性があるのです。

 「残業時間の上限規制」などというと、長時間残業を防ぐための制度のように見えますが、実態は正反対であることは、これを見れば明らかです。

 このような「働かせかた改悪」は、絶対に実現させてはなりません。
 なお、日本共産党は、この「働かせ方改悪」の対案として、残業時間の上限を「週15時間、月45時間、年360時間」を法定化し、それ以上の残業は絶対にさせない、という働くひとの命と暮らしを守る規制を提案しています。
 安倍政権の提案と比べれば、月の残業時間の上限を半分以下にする、というものになります。
 ちなみに、この数値は日本共産党が設定したものではありません。厚生労働省が決定した大臣告知です。
 それを考えれば、日本共産党の提言する労働時間の規制が適切であり、安倍政権が導入しようとしている「残業時間の上限規制」がいかに異常なものかが明白なのがよくわかるのでは、と思っています。