「日本の軸」と「大衆」

 先週の日経新聞一面で、三日にわたって「日本の軸を問い直す」という連載をやっていました。
 世界経済危機の影響から回復しきれない現状を踏まえての、政策に対する提言という事になっています。しかし、その内容は毎度お馴染みの「構造改革」「規制緩和」「消費税増税と法人税減税」「社会保障の見直し」という、「新自由主義のより一層の推進」でした。ちなみに、「小泉改革」の問題点は「郵政以外の『改革』の推進が鈍かった事」だそうです。
 一方で、福祉の改善など、国民にとって益のある政策については、「大衆迎合」の一言で切り捨てています。

 この記事では、意識してか、主題である「日本の軸」が具体的に何であるかは書いていません。しかし、それは連載の一回目を途中まで見ただけで簡単にわかります。この記事においての「日本の軸」を「大企業の利益」と置換えても、文章の意味が何ら変わらないからです。
 つまりは財界の利害しか考えていない「広報記事」が三日にわたって一面を飾ったわけです。さすがは今年からは経団連本部と同じ敷地に本社を移転しただけの事はあり、完全に一体化しています。
 彼ら(財界=日経)にとっての「日本の軸」が大企業の利益であると言うことは、軸さえ維持しておけば他はどうなろうと、知ったことではない、という事になります。だからこそ「軸」から遠いところに存在する、低所得の労働者などのために政治を行なうことは、本筋から外れた「大衆迎合」として批判するのです。
 そして、実際に政治を執行する「二大政党」はいずれも財界から政策を「採点」され、その結果に応じて資金を供給されています。したがって、現在の政治の枠組みが続く限り、このような「軸」のみ太くなり、他はやせ細る状況は続くでしょう。
 実際に、昨年秋からの世界大不況において、「軸を守るために他を犠牲に」は実行されました。そして、「派遣切り」などを行なうことにより、「軸」である大企業の被害を最小限にとどめることができたわけです。
 今後もこのような政策が続けば、「軸」だけは栄え続けるでしょう。なにしろ、「軸」を守るためにいつでも切り捨てることが出来る「大衆」は無数にいるのです。そして、これまでの例からも分かるように、「軸」がどれだけ安定して太くなっても、切り捨てられる側の状況が改善することはありません。

「日本の軸」と「大衆」」への1件のフィードバック

  1. いよいよ「保守二大政党制」ができ上がりつつあるということ

    「政権交代」がいよいよ現実のものとなりつつあるようです。自民党の右往左往ぶりと相まって、長年待ち望んだ「政権交代」を前に、盛り上がる気持ちも解らないではあ…

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