商業マスコミが流す政治報道の信ぴょう性

 いつの時代も、商業マスコミは政治について「国民の意見を代表している」という立ち位置で「報道」しています。そして、常に政党のみならず、首相や議員に厳しいもの言いをし、「進むべき道」を示しています。その自信満々ぶりは、あたかも、日本政治における「真理」をすべて理解しているかのようです。
 しかし、マスコミがいくら政治の進むべき道を示し、そこに書かれた通りの事が実現しても、政治が良くなることはありません。
 しかし、そのような事態になっても、かつての自らが行った報道の問題点を検証する、などと言うことは行われません。そして、何事もなかったかのように、商業マスコミはこれまでと同じ態度で、新たな「提言」を始めます。
 そのような実態を見ると、「論評・提言」は果たして信頼に値するものなのだろうか、という疑問が生じます。

 それを判断するために、これまで商業マスコミが主張していた「政治批判・提言」を検証をしてみました。
 たとえば、国政において極めて重要な位置づけにある衆議院選挙においては、どのような報道がなされたでしょうか。
 前回の選挙においては、「政権選択選挙」などと名付けて、民主党か自民党かの「二択」を煽りました。その結果、確かに政権交代は成し遂げられました。しかしながら、これまでの自民党政権への不満票を集めて政権を獲得した民主党の行なっていることは、自民党政治の継承でしかありませんでした。
 しかも、当初、新政権が自民党政治と異なる方向性を打ち出すようなポーズを見せると、商業マスコミはこぞって批判しました。そして、選挙前にはあれほど重要なものとして報じていたマニュフェストに対しても、「撤回せよ」の大合唱となりました。

 その前の衆議院選挙には「郵政選挙」という名前がつけられました。自民党はマニュフェストで「郵政民営化が実現すれば官僚支配も終わる」などと堂々と書き、マスコミもそれに乗って、郵便局を私企業にする事が今の日本で一番重要な事であるかのごとく雰囲気を作りました。
 しかし、そこまで大騒ぎして行われた「郵政民営化」の「成果」とは、人口過疎地帯がより不便になり、老人が郵便局で投資信託を勧められて大損し、オリックスがかんぽの宿で大儲けした、というくらいのものでしかありませんでした。
 このように、直近の総選挙二回を見ただけでも、商業マスコミの政治報道はいかに見当違いであるかがよく解ります。

 もちろん、これは最近の話ではありません。たとえば、1996年に導入された小選挙区比例代表並立制で行われた選挙の後、商業マスコミは「小選挙区で落選した議員が、比例代表で当選している。これはおかしい」などと批判を始めました。
 実際には何もおかしいことなどありません。そのような形で当選者が出ることが、この選挙制度のシステムなのです。
 しかし、一部マスコミは「ゾンビ議員」などという品のない言葉まで作って、あたかもそれが大問題であるかのような書き方をしました。
 もっとも、それだけ誹謗したものの、「比例代表で復活当選した議員が、小選挙区で当選した議員より、政治家としての質が低い」などという論証ができたマスコミはどこにもありませんでした。つまり、この「復活当選」は批判すべきものではなかったのです。

 さらに、1980年代の自民党一党支配時代を振り返ってみます。当時も、自民党政権は「政治とカネ」をはじめ、様々な問題がありました。
 それに対する批判として、当時の商業マスコミは「党内の派閥が問題だ」と批判しました。
 しかしながら、これも根本から間違っています。当時の中選挙区制において、自民党が過半数を維持するためには、ひとつの選挙区から二人以上の議員を当選させる必要がありました。つまり、同じ選挙区で自民党候補同士が争うのが必須だったわけです。
 つまり、同じ政党でも利害が対立する議員が存在していたわけです。それが組織化されて、党内のもう一つの政党みたいな形で「派閥」が成立するのは普通の事でしょう。
 にも関わらず、当時の商業マスコミは、この「派閥」の存在こそが諸悪の根源であるかのような「政治批判」を繰り広げました。
 その影響で、当時の政治談議において、皆、派閥の事を手厳しく批判していました。しかしながら、なぜ派閥が存在するのかを知っている人はほとんどいませんでした。
 そしてその後、中選挙区制廃止に伴い、派閥の重要性は薄れました。そのため、小泉元首相は「派閥禁止」みたいなパフォーマンスを行った自民党総裁もいました。しかしながら、それによって自民党が改善された、などという事はありませんでした。
 もちろん、自民党政権が一般市民の利益に反する政治を行った理由は、派閥があるからではありません。それが何だったのかについては後述します。いずれにせよ「派閥批判」はその本質から目をそらせるための手段だったのです。

 もう一つ、自民党単独過半数の頃によく見られた商業マスコミの論調を紹介します。自民党は反対意見を述べる野党に対し、「対案がない」と批判していました。そして、対案を提示すると、今度は「その案には財政の裏付けがない」と批判していました。
 商業マスコミは、その自民党の主張をそのまま社説などに載せ、あたかも自民党は財政を理解した上で政策を立案しているかのように思わせていました。もちろん、それが事実であったかどうかは、長年、自民党政治が行われた結果、今の財政がどうなっているかを考えればすぐに分かります。
 つまり、商業マスコミには自ら財政的な検証を行う能力などないのです。にも関わらず、「自民党の案は財政的裏付けがあるが、野党の案にはない」と報じていたわけです。

 このように、いくつかの事例を調べただけでも、商業マスコミの「政治批判・提言」は間違いだらけだった、という事がすぐに分かります。
 そしてもちろん、彼らは自分たちの報道を検証などしません。したがって、それが間違いであったかどうかなど、一切伝えません。
 では何故、そのような事を長年続けているのでしょうか。そのヒントは、商業マスコミの多くは株式会社であり、利益を追求する団体だ、というところにあります。
 その利益を一番手堅く維持する方法は、大口のスポンサーに広告を載せてもらう事になります。特に、購読料や受信料などの収入のない民法テレビなどは、その傾向がより顕著です。
 なお、受信料で運営されているNHKにもこれはあてはまります。確かに収入源は受信料ですが、その経営権を握っているのは、先述したスポンサーと同じ層に所属する人たちです。
 先日発生した、「NHK経営委員長が東電社外取締役を兼任しようとした」という事例がそれを分かりやすく物語っています。氏は辞任しましたが、残った経営委員の一覧を見ると、11人中4人が大企業の経営者です。そのような経営委員会が、番組作成においてどのような影響力を及ぼすかは明白でしょう。
 いずれの媒体にせよ、商業マスコミにとって財界・大企業の影響力が強いわけです。

 この事情は、民主党や自民党も同じです。より潤沢な資金を得るには、大企業に頼むのが一番効率的かつ効果があります。そのためには、これまた同様に、彼らに喜ばれる政治を行う必要が生じます。
 大企業に喜ばれる政治を行えば行うほど、労働者はもちろん、中小企業・自営業者・第一次産業従事者などにそのしわ寄せがくる、というのが現代の日本経済の構造です。これは前世紀でもそうでしたが、特に今世紀に入ってから、よりその傾向が強くなっています。
 そのような政治の結果として、労働者を初めとする人々は、大企業の利益増大の犠牲になり、収入が減ります。必然的に、その怒りは政治に向かうことになります。

 先述したように、商業マスコミにとっても財界・大企業は重要なスポンサーです。その機嫌を損ねないためにも、このような人々の政治に対する怒りが、「政治業者が財界・大企業のために政治をするから」という重要な事実に到達されては困るわけです。
 それを防ぐために用いた手段が、「マスコミの用意した敵」を用いて人々の怒りをそらし、かつ「マスコミの用意した味方」を使って希望を見せてあげる、というものでした。
 その「敵」が前回の選挙では自民党で、その前の選挙では「郵政改革に反対する守旧派」だったわけです。そして「味方」は前回が民主党で、その前は「小泉改革」でした。そして今は、「大阪維新の会」を各社が「国民の味方」だと大合唱しているわけです。
 前のほうで書いた1996年の「ゾンビ議員」も同様です。そのような何ら問題のないものに人々の「敵」とし、スポンサーが一番喜ぶ選挙制度である「完全小選挙区制」を「味方」として用意したかった、というのが一連のキャンペーンの目的なのでしょう。
 その「味方」「敵」が実際とは違っている事は、これまでの政治報道とその結果を見れば分かります。

 繰り返しになりますが、商業マスコミの政治報道の目的は、スポンサーが喜ぶ世論を形成して自社に収益をもたらす事です。
 それを、「自分たちの生活の事を考えてくれている」などと勘違いして、それらの記事・放送を真に受けてしまうと、「商業マスコミが推奨する政治家ならびに政治体制」が自分たちに幸せをもたらすものだと思わされてしまいます。
 その政治が実現した結果、収入の低下をはじめ、さまざまな被害を受けるのが誰なのかは、もはや言うまでもないでしょう。