「長時間労働は日本の文化」は本当か?

 電通の過労自殺事件以来、長時間労働問題が話題になっています。
 その中で、よく出てくる言葉に「長時間労働は日本の文化である」という言葉があります。
 しかし、これは本当なのでしょうか。

 たとえば、イギリスの例で考えてみます。
 イギリスで働いている人のブログなどを見ると、いずれも、定時で上がる風習について驚いています。
 17時が定時で、それから3分もすると、社内に誰もいなくなる、などという事例も紹介されていました。
 「長時間労働が日本の文化」なのでしたら、「定時労働はイギリスの文化」という事になります。
 しかし、これは事実ではありません。イギリスもかつては長時間労働が幅をきかせていた国でした。

 産業革命が起きた19世紀のイギリスでは、平均労働時間は1日12時間でした。また、幼い子どもも大人と一緒に長時間労働を強いられていました。
 1863年6月のイギリスでは、縫製工場で働いていた20歳の女性が、一日平均16時間半、繁忙期には30時間ぶっ通しで働かされて倒れ、二日後に死亡した、という事例もありました。つまり、過労死したわけです。
 要は、当時は「長時間労働はイギリスの文化」だったわけです。
 その「文化」が150年たらずの間に、「1日8時間労働で、定時には会社から人がいなくなる」になったわけです。
 それを実現したのは、団結した労働者による闘いで、政治を動かした事でした。
 労働時間に上限を定める工場法を制定させ、段階的に労働時間の短縮・児童労働の禁止などを進めてきました。その積み重ねで、現在の状況を築き上げていったわけです。

 一方、日本ではどうでしょうか。19世紀後半には日本でも産業革命が起き、大規模な工場労働が行われるようになりました。
 その過程では、やはり、長時間労働が行われました。女工哀史などで知られるように、やはり若い女性が長時間労働を強いられたわけです。
 当時の日本は、天皇が絶対的な権力を持つ専制政治でした。したがって、イギリスと状況は異なっています。しかし、そのような中でも、労働者は闘いに立ち上がり、不十分ながらも、労働条件の改善は行われました。
 そして、敗戦後の改革が行われ、労働三権も確立しました。そこから、様々な労働争議を経て、日本の労働条件もかなり改善されました。
 8時間労働制も確立され、「17時に退勤する」が一般的な風潮になり、仕事が終わると元気になって夜の街に繰り出す「5時から男」などという言葉が流行したりもしました。

 しかし、1980年台からの「行革」により、流れが変わります。
 財界トップがまとめた「行政改革案」を政府が採用してマスコミが宣伝し、それを基調にした新自由主義的な「改革」が行われました。
 最初に狙われたのは国鉄でした。赤字の原因を労働者や労働運動に押し付けるという、事実と異なるキャンペーンが行われ、マスコミがそれを大々的に後押ししました。
 その結果、国鉄では不当労働行為が蔓延し、労働者の権利を主張する労働組合は弱体化されました。
 もちろん、これは国鉄・JRに限った事ではありません。私企業・公務労働を問わず、様々な形での不当労働行為が公然と行われ、労働環境の悪化が進みました。
 また、労働法制においても、変形労働制や裁量労働制など、残業代を払わずに長時間労働をさせる改悪が行われ続けました。
 その積み重ねの結果として、現在の「ブラック企業」が蔓延し、過労死・過労自殺が蔓延する、今の日本の労働状況が生まれたわけです。
 図で表すと、以下のようになります(クリックすると同じ窓で大きな画像が開きます)。

長時間労働が日本の文化、という事が事実でない事を示すために、日本とイギリスの比較をしてみました。ともに19世紀の産業革命時は長時間労働が蔓延していましたが、その後、労働者の闘いによって改善されていきました。しかし、日本では1980年代以降の政府と財界による労働組合つぶしにより、労働条件が悪化しました。それが、現在の過労死をはじめとする、「日本の労働文化」の原因となっている事を表にしています。

長時間労働に関するに日本とイギリスの歴史の比較表です

 この流れを見れば、「長時間労働が日本の文化」などという言説が、いかに事実でないかが解ります。
 政府と財界が低賃金・長時間労働で利益を上げるために様々な施策を進め、それをマスコミが後押しした結果が、現在の長時間労働や過労死・過労自殺の蔓延を生み出したわけです。
 したがって、その解決策は「長時間労働という日本の文化を変える」ではありません。
 働く人の権利を守り、さらに現在の労働法の問題点を改善すること、そしてそれに違反した企業を厳しく取り締まる事です。これこそが、長時間労働の解決策です。
 別にこれは夢物語ではありません。イギリスを始め、少なからぬ先進国で実現したことですし、かつての日本でもある程度まで実施できた事です。
 今の政治を変え、労働者が人間らしく働けるための政策を実現すれば、「長時間労働は日本の文化」などという言葉は死語るでしょう。そして、日本でも定時退勤が「文化」になる日が来ます。