中国の反日デモ報道から伝わるもの

 先週末あたりから、中国で反日デモが過激化している、と報じられています。教科書問題など日本側にも非があるとはいえ、大使館への投石や日本人留学生を殴打するなど、暴力で意見を主張する、という行為は断じて賛成できません。
 ところで、このデモに関する日本側の報道を見ていると、二つほど興味深い点が見受けられます。一つは、中国の高官の発言や、大使館周辺の警官の言動を元に、「中国側がデモを扇動している」というような書き方をしているところです。その一方で、「報道管制をしいて、この件は一般市民には伝えないようにしている」とも報じています。
 中国政府が「反日行動」を拡大したいのなら、都合の悪い部分は隠して「愛国者たちのデモ」と報道させればいいだけですし、逆に収束させたいのなら警官に厳しく取締らせればいいわけです。いずれにせよ、ちょっと矛盾しています。もちろん、巨大な官僚組織ですから、それぞれの部局に思惑があって、矛盾した行動を取っていると考えるべきなのかもしれません。しかしながら、一つの記事に「中国政府を糾弾する」という点を除けば矛盾している情報を載せるというのはどうなのでしょうか。

 ところで、「大規模デモを報道しない・させない」という事を日本のマスコミは中国ならではの事であるかのように報じています。
 しかし、日本でも似たような事は最近になって増えています。2年前のイラク戦争の時の反戦運動しかり、九条の会の活動しかり、商業マスコミでの扱いは良くてベタ記事程度。黙殺する事も少なくありません。特に、好戦・九条改悪派の会社ほど扱いが小さくなる傾向にあります。
 こういうのを見ていると、公然と国家の統制を受けている中国のマスコミと、「権力を監視する」と自称している日本のマスコミの違いについて、考えさせられてしまいます。

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「ジャーナリズム」の自己過信

 毎日新聞に載ったライブドア社長氏の「ジャーナリズム論」が、既存の情報産業から批判されています。普段はかなり論調が違う東京新聞と、読売新聞の社説が、ほとんど同じ論調で批判している事からも、彼らが根源的なところで、あの発言を嫌っている事がわかります。
 基本的には、ライブドアの社長氏は好きではありません。しかし、その好き嫌いとは別に、この発言およびその反応には興味深いものがあります。

 読売の社説では権力を監視し、社会の不正を暴き、公正な世論を形成する。(中略)官庁や企業の発表、発生した事件を垂れ流すだけでは、ジャーナリズムとは言えない。などと言っています。東京新聞の社説も、毎日新聞での質問者も、似たような事を言っていました。
 もちろん、自分たちの所属している業界がこれまで行ってきた事を肯定したい気持ちは分かります。とはいえ、ちょっと自分たちの能力や仕事を過大評価しすぎていませんでしょうか。
 確かに、彼らは情報の収集ならびに発信の専門家として、豊富な経験を積んでいます。しかし、その得た情報を取捨選択する事についてはどうなのでしょうか。
 たとえば、上記社説で自分たちの実績(?)として、「権力の監視」「社会の不正」「公正な世論を形成」を挙げています。では、その「権力『監視』の対象範囲」「『不正』だの『公正』といった定義はどのように行われるのでしょうか。
 言うまでもない事ですが、各情報産業の社員に、絶対神のような善悪を判断する能力があるわけではありません。ではその判断基準が何になるかと言うと、結局は「社の儲けになるかどうか」です。(その構造的な問題による報道の「偏向」については、当ブログの長文集・「マスコミ」という情報産業についてでふれているので、よろしければご参照ください。)
 いずれにせよ、ライブドア社長氏のマスコミ批判に対し、「俗」だの「金儲け」だのと批判できるほどの立派なことを、現在の情報産業が行っていない事は確かです。
 特に、「公正な世論を形成」などどこをどう勘違いしたら言えるのでしょうか。この前のプロ野球選手会スト問題の時に、自社の社説がどれほど「公正な世論の形成」に貢献したか、一度じっくり考えてみてほしいものです。

何に支配されるなら問題ない?

 読売の会長氏が、ニッポン放送株問題についてテレビ、ラジオといった社会の恒久なメディア媒体をマネーゲームで排除される、支配されることはあってはならないと述べたと、スポーツ報知の一面トップで報じられていました(※なお、他のスポーツ2紙は「高級なメディア」と記載していました。こちらのほうが、意味は通りやすい感じです)。
 要は、「政財界に頭を下げないようなポット出での成り上がりなんぞに支配されてたまるか」という意味なのでしょう。それはともかく、この発言を見ていると、「マネーゲーム」でないものになら、支配されても問題がないのだろうか、と思えてきます。

 読売新聞をはじめ、多くの大手情報産業は、自民党政府や財界と密接な関係があります。この発言をした読売の会長も、先日辞任したNHKの前会長も、政治記者時代から自民党の特定勢力と密接な関係を持ち、それを利用して頂点に登りつめたほどです。
 そのため、必然的に基本的な論調は、それらの勢力の利益を意識したものとなります。その結果、「日米同盟は絶対視すべきもの」であり、アメリカの軍事戦略は常に正しく、国内では大企業の利益を維持する経済政策が正しいものとなります。その一方、一般国民は、増税や社会保障のサービス低下および負担増を容認すべき、となるわけです。
 この権力と情報産業の密着については、よく言われるように、「政・財・官」にマスコミが加わった「鉄の四角形」といった感じです。しかしながら、その結果が先ほど書いたような「自民党政府・財界の立場に立った論調」になっているわけです。その結果、天皇制政府の支配を受けていた「大本営発表」の時代の報道に着実に近づきつつあるわけです。

 昔のマスコミには、「いかなる権力にも支配されない」みたいな建前がありました。それをあの発言は、「マネーゲームで支配される事があってはならない」と「敵」を否定する形式を取りながら、「現在の商業マスコミを『支配』している勢力の存在」について自ら明示したわけです。今更とはいえ、思わぬ所で「本音」が聞けました。
 それにしても、系列スポーツ紙とはいえ、この「お言葉」を有難く一面トップにするというのもすごい感覚です。「高級」だか「恒久」だかわかりませんが、その程度のものならば、マネーゲームに支配されようとされまいと、さほど変わらないと思うのですが・・・。