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2005年04月29日

マスコミの提言通りにやった結果

 月曜の朝に、尼崎でJRの大事故が発生しました。最終的な死者数は百人を越えました。鉄道事故でこの死者数は42年ぶりの事だそうです。
 そのニュース速報を見ていたら、記者会見をするJR西日本の幹部や、応対している社員に対し、マスコミの記者が乱暴な言葉で詰め寄る場面が報じられました。また、ほとんどの商業マスコミも、自動制御装置が古かった事などを挙げて、JRの安全管理を批判するような論調を載せています。
 もちろん、JRの安全管理に重大な問題があるのは事実ですし、早急に改善されるべきです。ただ、そのような企業体質になった原因を考えると、このようなマスコミの「体質追及」にはかなりの違和感がありました。

 今から20年ほど前、自民党政府が国鉄の分割・民営化を計画しました。その目的は、自らの利権のために行った新幹線などの建設によって生じた赤字をごまかすためと、当時強力だった国鉄職員の労組を解体する事の二点でした。
 それを推進するために、当時のマスコミも自民党政府に全面的に協力しました。夜勤明けの国鉄職員が施設内の風呂に入った事が分かれば、「勤務中に昼間から風呂に入っている」という事になりました。「駅係員が300円を着服して懲戒免職になった」などという事ですら、大きく報じられたほどです。それらを筆頭に、「タルみ・ポカ休」などという「国鉄労働者糾弾用語」が連日のように紙面を賑わしました。
 しかしながら、今回の事件で新聞などに掲載された「過去の重大事故」を見れば分かるように、そこまで問題だらけだったはずの当時の国鉄労働者は、今回や14年前の信楽高原鉄道事故のような大量の死傷者の出る事故を起こしてはいません。

 さらに、「国鉄が赤字なのは、『国営』というぬるま湯に漬かった経営体質および、その下で好き放題をやっている労働者のせいだ。それを解決するには分割・民営化だ」という論調一色になりました。私企業の競争原理を導入すれば、国鉄は黒字になる、という感じで、わざわざ「駅構内で商売をすればいい」などと、経営指南(?)をする記事まで載ったほどでした。
 その中で、国鉄労働者に対する負の評価および、「分割・民営化しかない」という世論が形成されました。そのような「国民感情」を利用して、反対する労働者に対する不当労働行為も常態化されました。あれほどまでに国鉄の経営体質を批判していたはずのマスコミは、このような経営陣の違法行為はほとんど批判しませんでした。
 また、分割・民営化反対論者が挙げた「収益を優先することによる安全の低下」「同じ理由による地方ローカル線の廃止」「分割による各社間をまたがる利用が不便になる」などの問題点も、ほとんどまともに取り上げられませんでした。

 そして、1987年に、自民党政府とマスコミの協力が実を結び、国鉄分割・民営化が実現。最後まで反対しつづけていた労働者は、不採用になったり、採用されても差別的な扱いをされました。そして確かに私企業になった効果で、本州の三社は黒字になりました。もちろん、これはただ単に「一営利企業が黒字になった」というだけでの話です。社員でも株主でもない一般国民には何ら関係のない話です。(なお、膨大な国鉄の赤字がどうなったかについては、長文「民営化」に隠された真意に記載しています。興味のある方はご参照いただければ幸いです)。
 その代償が、安全の低下と地方ローカル線の廃止でした。JRとして直接廃止した路線も多々ありますが、一度第三セクター化や私鉄に売却した路線などもどんどん廃止されています。まさに、当時の反対論者の指摘が的中したと言えるでしょう。
 今回事故の起きた福知山線(JR宝塚線)などはその象徴とも言える路線です。「民営化」の数年前に電化されたほどの「都会のローカル線」でした。それが、本数増や新線への直通などで利便性を増し、大幅に乗客数を伸ばしました。その点では確かに「民営化効果」が非常によく出ています。
 その裏で、過酷な労働管理や勤務体制が取られました。仮にこれが往時の国鉄だったら、そのような勤務体系や、運転士が精神的に追い詰められるような定時運行の強制などはできなかったでしょう。(ちなみに、組合が強かった頃の国鉄でも、その定時運行は世界でもトップクラスでした)。そして、利益に繋がらない「保安設備の改良」などは後回しにされたわけです。それによってもたらされた今回の大事故は、負の「民営化効果」の結実と言えるでしょう。

 それに対して、かつて、分割・民営化万能論を主張していたマスコミが、そのかつての報道は省みずに「JR西日本の安全管理に問題があった」などと書き、冒頭のようにJR社員を糾弾したわけです。現在も憲法や安全保障から郵政問題まで、20年前同様の高邁そうな主張が紙面を見かけます。しかしながら、現在のJR西日本問題の報道を見る限り、各社がどのくらい責任を持ってそのような主張をしているのかは、大いに疑問であると言わざるをえません。

2005年04月13日

中国の反日デモ報道から伝わるもの

 先週末あたりから、中国で反日デモが過激化している、と報じられています。教科書問題など日本側にも非があるとはいえ、大使館への投石や日本人留学生を殴打するなど、暴力で意見を主張する、という行為は断じて賛成できません。
 ところで、このデモに関する日本側の報道を見ていると、二つほど興味深い点が見受けられます。一つは、中国の高官の発言や、大使館周辺の警官の言動を元に、「中国側がデモを扇動している」というような書き方をしているところです。その一方で、「報道管制をしいて、この件は一般市民には伝えないようにしている」とも報じています。
 中国政府が「反日行動」を拡大したいのなら、都合の悪い部分は隠して「愛国者たちのデモ」と報道させればいいだけですし、逆に収束させたいのなら警官に厳しく取締らせればいいわけです。いずれにせよ、ちょっと矛盾しています。もちろん、巨大な官僚組織ですから、それぞれの部局に思惑があって、矛盾した行動を取っていると考えるべきなのかもしれません。しかしながら、一つの記事に「中国政府を糾弾する」という点を除けば矛盾している情報を載せるというのはどうなのでしょうか。

 ところで、「大規模デモを報道しない・させない」という事を日本のマスコミは中国ならではの事であるかのように報じています。
 しかし、日本でも似たような事は最近になって増えています。2年前のイラク戦争の時の反戦運動しかり、九条の会の活動しかり、商業マスコミでの扱いは良くてベタ記事程度。黙殺する事も少なくありません。特に、好戦・九条改悪派の会社ほど扱いが小さくなる傾向にあります。
 こういうのを見ていると、公然と国家の統制を受けている中国のマスコミと、「権力を監視する」と自称している日本のマスコミの違いについて、考えさせられてしまいます。

 あと、今回のデモの原因として、中国の「愛国心教育」を挙げる声が、日本政府からも出ているそうです。愛国心教育と言えば、よく「外国では国旗・国歌に敬意を示すのが当然」などと言って、日の丸・君が代強制を主張する人がいます。
 本当に日本以外の全世界で「国旗・国歌への崇拝」が行われているかは疑問ですが、少なくとも中国においては事実らしいという事がわかりました。そして同時に、「外国で愛国教育をやっているからといって、それに倣う必要はない、という事も痛感しました。