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2005年05月29日

自民党が成し遂げた「景気回復」

 かなり前ですが、TVの広告で、小泉首相が「自民党が景気回復を成し遂げた」という宣伝をしていました。そこで首相が挙げた「景気回復」の指標は「企業収益の増加」「倒産件数の減少」「不良債権額の減少」でした。
 しかし、一部の高所得者を除き、これを見て「そうか、景気がよくなっているのだな」と思う人などはいないでしょう。実際、この指標のいずれも、普通の人の生活には関係がない数字です。特に、「企業収益の増加」に至っては、正社員の賃金増を抑制しつつ労働時間増加および、低賃金の期間雇用者や派遣社員への置き換えが「収益増加の要因」となっている部分も少なからずあり、むしろ「生活の悪化」の原因とすら言えます。

 確かに、バブル崩壊の頃までは、「景気」と「生活」が連動していました。それこそ、バブル崩壊以前は「土地の値段が下がる事などない」というのが常識だったのと同様に、「景気が良ければ生活はよくなる」というのは常識みたいなものでした。
 しかし、首相自らが明かしたように、この「常識」はもはや過去のものとなってしまったようです。国会答弁などでは、「企業の収益拡大が国民生活に反映するのがことのほか遅いようだ」などと言っているようです。しかし、企業が労働者を低賃金で酷使して収益を上げた結果が「景気回復」の指標になっている限り、そのような「反映」は半永久的に実現しないように思えます。
 既に、自民党政府も財界も、かつての「景気と生活が連動する」という体制を捨てているわけです。にもかかわらず、その「過去の常識」を信じて、「自民党政府が景気回復のため」と言っているから、今は苦しいけれど、じきに良くなるはずだ、などと考えるのは向こうにとっては都合がいいでしょうが、耐える側にとっては意味があるのかははなはだ疑問です。
 なお、最近では「財政再建」を理由に、社会保障を減らし、税金を増やす方向で自民党政府は進めています。しかし、この「景気」についての考え方から類推すると、「財政」についても、国民は収奪ばかりされて、「財政再建」の恩恵にはあずかれない、という結果が待っているのでは、と思えてきます。

2005年05月05日

被害者と加害者を取り違えた報道

 JR西日本の安全軽視体質が起こした4月25日の福知山線の大事故について、3日あたりから奇妙な報道が流れています。まず、3日夜に「事故を起こした列車に乗って通勤していたJR西日本の運転手が、救助もせずに出勤した」という記事が出ました。続いて、4日には、「JR西日本の社員のグループが、当日、休暇を取ってボウリング大会を行い、事故が報じられても大会を中止しなかった」という記事が出ました。いずれも、「JR西日本の発表によるとそういう社員がいたことが分かった」という形で報じられています。
 この、当局などの発表記事を「という事が分かった」という形で各紙が一斉に報じる事については、メディアの辺境地帯さんが、「『分かった』ジャーナリズム」として、厳しく批判されています。今回のは、その「分かった」の情報源が、大惨事の最大の責任者であるJR西日本であり、そこの発表をそのまま掲載しているだけに、より異常と言えるでしょう。

 なにしろ、3日にJR西日本が「二人の社員のうち尼崎電車区の運転士は、自分の判断で事故現場から脱出して職場に向かった」と発表したものを裏も取らずにそのまま報じ、4日に、「20分間、気を失って、その後電話連絡したら、『遅れずに来て下さい』と命じられたので出勤した」と訂正発表したら、これまたそのまま報じています。
 つまり、事件の加害者であるJR西日本の発表を鵜呑みにし、たまたまJR西日本に勤務していた、というだけで事故に巻き込まれて20分気絶するほどの重傷を負った被害者を糾弾しているのです。さらに、出勤を命じた上司に至っては人間として使命を果たしていなかったというJR西日本の発言をそのまま載せているほどです。私にとっては、このような発言は「社員の人格を無視するJR西日本の非人間的体質の象徴」としか解釈できないのですが、マスコミにとってはそうではないようで、そのJR西日本幹部と同じ視点で「社員の問題行動」を報じています。
 もう一つの「事故の日にボウリング大会」ですが、これもはっきり言って意味のない記事です。もし事故に気づいて彼らがすぐにボウリング大会を中止していれば、被害の規模が少しでも縮小された、というならば、彼らは即座に大会をやめるべきだったでしょう。しかし、もちろんそのような事はありません。

 JR西日本はなぜ、このような情報をマスコミに流して報道してもらうのでしょうか。私には、事故の本質的な原因である、「安全軽視の社風」から目をそらさせ、怒りの矛先を一社員に向けさせるためだとしか思えません。
 ちなみに、この一連の記事で、自社の社員を厳しい舌鋒で批判する「担当者」として、JR西日本のM安全推進部長の談話がよく出ています。この人の名前でニュース検索をかけてみると、面白い記事がありました。社員の行動に対して極めて厳しい安全推進部長氏ですが、今年度の「支社長方針」の第一の柱に「稼ぐ」をあげ、四月上旬に全社員に配布していたという記事においては、「支社長が支社としての考えをのべたもので、コメントできない」と急におとなしくなっています。もちろん、「支社長>部長>社員」という序列なのでしょうから、立場上当然と言えば当然です。とはいえ、これらの発言を見ていると、このような「安全推進部」を持つ企業体質では、これからも大惨事は起きる可能性は高いと言わざるをえないでしょう。
 まあ、次の大惨事が起きた時は、被害にあった社員はその場で救助活動を行い、またボウリング大会は即座に中止されるという形で「安全教育の徹底の成果」を見ることができるのかもしれませんが・・・。
 なお、大抵のマスコミは、JR西日本の発表を鵜呑みで報じましたが、その中で一部に遺族の方の現場を去った社員もある意味、夫と同じ被害者の一人。そういう人たちをつるし上げて済む問題だろうか。社員教育を一からやり直すというならまだしも、社員個人への処分を検討するというのは矛先が間違っている。JRにとって、事故なんてひとごとなんでしょうか。そういう社風なんでしょうかという談話を載せた記事もありました。この取材をされた記者の方には敬意を表します。しかしながら同時に、「ボウリング大会」などに比べると、この遺族の方の声はほとんど報じられないという現実はやはり問題でしょう。

 前回、国鉄の赤字問題を自民党政府とマスコミが協力して本質をそらし、それが今回の大惨事の遠因にもなった、という事を書きました。書いた時点では、「過去の報道に問題があるとはいえ、とりあえず今のマスコミはJR西日本の責任を追及している」という認識をもっていました。しかし、ここ数日のの報道を見た結果、あくまでもそれは一時的なものだったようです。今回の大惨事についても、かつてと同じように、本質からはずれた記事で読者の感情を煽りながら、JR西日本の責任についての追及は避けるような報道が行われるのでは、というふうに認識を改めています。