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2006年06月16日

「都心の公務員宿舎叩き」報道の受益者

 しばらく前に、「都心の官舎に安い家賃で住む公務員」がマスコミで叩かれた事がありました。ご丁寧に具体的な所在地から家賃の詳細まで調べ上げて、あたかもそれが悪事であるかのように新聞・週刊誌は批判していました。
 その流れにあわせて行われた、財務省の「国家公務員宿舎の移転・跡地利用に関する有識者会議」なるものが、「答申」を発表しました。その内容は、都心を中心とした公務員宿舎二百十八カ所を売却する、というものでした。
 国有財産を処分するわけですから、本来なら我々国民に何らかの利益がもたらされるはずです。ところが、その売却による収入は3,740億円とのこと。確かに個人レベルでは少なくない額です。しかし、その記事によると現在の国債残高は600兆円ですから、そんな売却収入があっても国家財政にはほとんど寄与しません。600万円の借金に苦しんでいる人に3,470円援助するのと同じ理屈です。したがって、答申通りに公務員宿舎を売ったところで、我々の支払う税金が減ったりすることはありません。
 しかしながら、この売却に期待している人もいます。それは、跡地開発を見込む不動産業者です。確かに都心をはじめとする優良物件が手に入るわけです。それについて、上記の記事は問題は(中略)入札により用地取得コストが膨らむ事を懸念する見方も多い。また、公共用地の払い下げには高さや景観などに制約条項が付くことも多いと心配しています。

 用地取得コストが膨らめば、借金全体の比率からすればわずかとはいえ、国庫の収入が増えるわけです。また、高さや景観などに制約がつけば、東京の景観が悪くならないわけで、これまた国民の利益になるはずです。ところが、この記事はリードで財政再建への効果は限られるが、土地の利用の仕方を民間が競うコンペ方式の導入も検討しており、経済の活性化につながることが期待できる。などと書いているように、この「コスト増」や「制約」を「経済の活性化」のマイナス要因として批判しているわけです。現在の「大企業の収益だけ史上最高」という「景気回復」を見ても分かるように、そのような「経済の活性化」をしたところで、国民が得るものはほとんどありません。
 この事から分かるように、「都心の公務員宿舎売却」というのは、国の財産を切り売りして不動産屋を儲けさせるだけの話なのです。一方、大手不動産屋の経営者を除いた一般国民にとってはどうなのでしょうか。都心の宿舎に住んでいる公務員は郊外に移住させられるわけですが、官庁は一緒に郊外に移りません。その結果として生じるのは、通勤ラッシュのさらなる激化だけです。その一方で国民の共有財産である国有地が安く売り払われ、都内の景観はより一層悪くなるわけです。
 最初「一等地に安価で住む公務員叩き」キャンペーンが起きた時は、単に私企業に勤めている国民の不満の矛先を本質と異なる方向に向けるためだけのものだと私も思っていました。しかし、実際はそれだけでなく、国有財産を不動産業者が美味しくいただくための地ならしでもあったわけです。
 「公務員たたき報道」を真に受けて「公務員が都心の官舎に住むのはおかしい、追い出すのは当然」などと喜んでいる人も出るでしょう。しかし、そういう人は気づかない間に国民の共有財産をたたき売られて損をするわけです。端から見ると、ギャグみたいな構図ですが、国民であるだけで自動的に自分も被害者になってしまうため、笑うことはできませんでした。

2006年06月03日

自分たちへの「愛」を強要する法案

 教育基本法改悪案を自民党が出し、民主党も本質的に変わらない「対案」を出しています。いずれにせよ、結局のところ、彼らの目指しているのは、現在、自分たちが構成している自民党政府の維持・発展に適した形で子供達を「教育」できる体制作りです。そして、その象徴と言えるのが、「我が国と郷土を愛する」すなわち「愛国心教育」なわけです。
 一連の「愛国心」に関連して、少なからぬ自民党政治業者が「教育勅語の再評価」みたいな事を言っています。最初の頃は、「戦前の愛国心とは違う」みたいな事も言っていましたが、最近はそれすら言わなくなりました。
 戦前教育の成果である「愛国心」で「愛」の対象となった「国」というのは、一般の日本人たちでも、日本の自然環境・生活環境などではありませんでした。「愛」の対象は絶対的存在である天皇であり、同時に、その天皇の下で権力を得ていた天皇制政府の面々でもありました。その結果、「天皇陛下のため」に戦地で殺し・殺されていった「愛国者」たちの屍の上で、政治業者たちは権力を守り、それと一体化していた旧財閥なども利益を挙げたわけです。
 そして、そのような時代を懐かしむ政治業者たちによって、「愛国心教育」が復活させられようとしているわけです。

 繰り返しになりますが、彼らの復活させようとしている「愛国心教育」における「愛」の対象は、かつてと同じく、自民党政府や財界などの権力者でしかありません。「大企業が空前の利益を挙げてる一方で、生活水準の下がった労働者が増えているのは、国全体の事を考えるとおかしい」などと考えるのは、自民党政府の求める「国を愛する態度・心」ではありません。彼らの求める愛国心は「自分たちが支配しているこの国家体制を愛する(=国家体制に従う)心」です。
 その事は、首相があれだけ不評を買いながらも、十五年戦争を初めとする日本の侵略を正当化している神社に参拝し、「今の国があるのも、先の大戦で死んだ人のおかげだ」といい続けている事からもわかります。なぜならば、この発言は「国家の安寧のためには、『お国のために死んで靖国に祀られる人』が必要だ」と言っているのと同じ意味だからです。

 いずれにせよ、「自分たちを愛する(=従う)」ように教育をさせるように法律を変えようとする、というのはかなり厚かましい話です。これが、個人と個人の関係だったらどうでしょうか。相手の意図に関わらず、自分への「愛」を求め続けると、ストーカー防止法の規制対象となります。そして、60年以上前に、「愛」を強制させられた人々も、現代のストーカー被害者と同様に多大な被害を受けました。
 にも関わらず、自分たち権力者を「愛する心」を「教育」しようとする人々の勢いは増すばかりです。このままでは再び、「愛国心教育被害者」が大量に発生してしまいます。

 なお、愛国心なるものの本質については、長文集の戦前の「愛国心」は現在に通用するのかおよび「愛国心」と「公徳心」に書いてあります。興味がありましたら、ご一読いただければ幸いです。
 また、自民党および民主党の改悪案の本質について、gakuさんの「Internet Zone::Movable TypeでBlog生活」に、非常にわかりやすい解説が載っています。