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2006年11月26日

日本経済の「牽引」のしかた

 しばらく前ですが、経団連会長が法人税率の引き下げを求める際の口実として、「日本経済の牽引車である企業が国際競争力を失っては困る」と主張している、という記事を見ました。財界が自分たちの都合に合わせてデータを取捨選択して「日本の法人税は国際的に高い」と宣伝して税率引き下げを主張するのは毎度の事です。
 というわけで、主張自体には新鮮味は何らありませんでしたが、この自らを「牽引車」と表現した事は非常に面白く感じました。

 確かに、1980年代までの時代では、大企業を中心とした成長に引っ張られて国民全体の生活が向上した事もあったかもしれません。しかし、それはもう過去の話です。
 いくら財界や商業マスコミが「今回の景気回復が国民生活に波及しつつある」と言っても、経営者や大企業正社員の一部を除けばもはやそのような事はありません。これは「いざなぎ越えの経済成長」でありながら、「所得減少」「ワーキングプア」などという現象が生じている事からも明らかです。
 にも関わらず、財界は自分の事を「日本経済の牽引車」とたとえているわけです。では、果たしてその「牽引車」はどのような動きをしているのでしょうか。

 実際の牽引車を安定して効率よく動かすには、大きく分けると三つの方法が考えられます。一つは部品の改良などで性能を上げること、二つめは燃料を増やすこと、三つ目は引っ張る荷物を減らすことです。法人税という負担を減らして「牽引車」の速度・性能を維持する、というのはこの中でいう三番目の「引っ張る荷物を減らす」にあたります。
 確かに、この論法で法人税を減らせば、「日本経済の牽引車」はより速く走ることができるのかもしれません。しかし、その代償は「牽引される日本経済」なわけです。法人税引き下げられれば、それによる歳入減を補うには消費税値上げと福祉切り捨てが行われます。それによって害を被る人は「日本経済の牽引対象」から外されるわけです。
 これをもっと直截的に行うのが「ホワイトカラーエグゼンプション」という名の「恒久的賃下げ」でしょう。要は賃金を減らし、その分を大企業の儲けとするわけです。そうやって、これまで給与所得者の収入となっていた賃金が「日本経済を牽引のため」として財界に移転されるわけです。
 こうやって財界の主張を具体的に分析すればするほど、財界の考える「日本経済の牽引」なるものが、彼らにとって必要最低限の「荷物」のみを牽引し、さらにその荷物は今後も減らし続ける、という発想である事がよく分かります。もちろん、その「減らされる対象の荷物」というのは、ごく一部の富裕層を除く、大多数の日本国民の生活です。
 国民生活は牽引しないで牽引車のみ速度を上げる、というさまはある意味、現在の日本経済をよく表しています。そういう点で、非常に興味深い財界首脳の発言でした。

2006年11月18日

国家公認の「国民に不利益をもたらす法案」

 教育基本法「改正案」が衆院で強行採決されました。これまでも、与党が強行採決して成立した法案は多々ありますが、いずれも一般国民にとって益はなくても害のある法案ばかりです。その経緯だけ見ても、今回の「改正案」が一般国民にとってどのようなものなのか分かるとしたものです。
 それだけでも十分と言えば十分ですが、今回の法案がいかに「一般国民にとって有害であるか」という事に関して、自民党政府はさらなる「お墨付き」を与えています。すなわち、タウンミーティングでの「質問ねつ造」です。
 この件は、内閣府と文科省が共謀して行ったとのことです。言うまでもなく、仮に一般国民にとって益のある法案だったら、わざわざ綿密な台本を作って、質問をねつ造させる必要はありません。頼まれなくても参加者がその法案に賛意を示してくれます。すなわち、自民党政府自らがこの「改正案」が一般国民にとって有害無益だと証明しているわけです。

 さらにつけ加えると、安倍首相はこの法案に関して「教育再生」とうたっています。自民党政府の要人で、特に「タカ派」と呼ばれる人は、常日頃から「戦後教育」を目の敵にしていました。教育基本法の理念はともかく、結果的に自民党の長期政権を維持させるように国民を「教育」した戦後教育になぜ自民党政府が満足しないのか不思議ではあります。まあ、今後、自民党政府の目指す日本においては、あれではまだ物足りないのでしょう。
 いずれにせよ、戦後教育に不満を持ち、「教育再生」をうたう以上、彼らが「再生」させようとしているのが戦前教育であることは疑う余地がありません。すなわち、国民の多くが兵士となって命がけで侵略戦争に荷担させられ、国内に残った人も天皇制政府の誤った政策により貧しい生活を余儀されなくなりながら、「欲しがりません勝つまでは」などと言う標語に従うような「成果」が現れるような「教育」です。
 何度か書いていますが、あの「日本全体が悲惨」と思われがちな戦時下にも「勝ち組」はいました。たとえば、好戦的言動で知られる麻生外相は日本の侵略戦争や植民地政策を大いに活用してのし上がった企業を経営しています。
 さらに、安倍首相が尊敬してやまない祖父である岸元首相なども、天皇制政府で閣僚をつとめていました。そしてA級戦犯として一時投獄されるも、アメリカの政策転換もあって政界に復帰して首相となりました。そこで行った事はアメリカのために新安保条約成立に尽力でした。
 戦前教育により「鬼畜米英」と信じ込まされて米軍と戦って殺された人にとって、この「かつて『鬼畜米英』をとなえた側の人間がアメリカに忠誠をつくす」という姿はたまったものではないでしょう。しかし、国を戦争に導いて利益を挙げる事ができる人にとっては、そのような一般国民の生命など眼中にはありません。また、そのような「教育」をほどこされた人間が、自分の収益のために死んでくれる事は、極めて都合のいい事です。だからこそ「再生」したくもなるのでしょう。

 昨年の衆院選の際の自民党選挙公約において、教育基本法に関する事は、2行程度の記載でした。これは「郵政民営化」に比べれば段違いの小さい扱いでした。政権公約に占める比率がその程度なら、何もタウンミーティングで質問をねつ造したり、強行採決をするなどする必要はないはずです。
 逆に言えば、「郵政」の陰で目立たせないようにしながら、昨年の衆院選で得た議席数をもちいて強行採決しているわけです。こうやって調べれば調べるほど、自民党政府がいかにこの法案が一般国民に不利益をもたらすか分かっていて、なおかつ強引にでも成立させたがっているのか非常によくわかります。

2006年11月05日

国民の安全と「核兵器保有論議」

 自民党の閣僚や党幹部が、事あるごとに「核武装論議の必要性」を語っています。その論拠を一言でまとめると「北朝鮮が核実験をし、金正日総書記はいつ核兵器を撃ち込んでくるかわからないほど異常だから、日本も核武装を考えるべきだ」になります。
 しかし、核武装をすることは、日本国民の安全に役立つのでしょうか。
 仮に北朝鮮が日本に核攻撃を行ったら、アメリカが「報復」という大義名分を得て平壌に核兵器を撃ち込むでしょう。つまるところ、日本が核兵器を持っていようといまいと、北朝鮮にとっては同じ話になるわけです。ましてや、自ら金正日総書記を異常者と決めつけているわけです。異常者でしたら、「相手が核兵器を持っていなければ攻撃し、所持していれば攻撃を控える」などという判断力を期待できないでしょう。
 つまり、「北朝鮮核攻撃抑止のための核武装」などと言うものは無意味です。ましてや、この自民党の核武装論者が何度も繰り返している「金正日総書記は異常だから」を援用すると、その無意味さは倍増するわけです。
 このように、彼らの「核武装論議が必要」という発言を解釈するだけで、「核武装することの無意味さ」が証明されてしまっているわけです。

 というわけで、「核武装すれば国民の安全度が増す、などという事はない」というのは、ちょっと考えれば簡単に分かることです。にも関わらず、そのような考え方で核武装やそれに準ずる軍備増強を進める政府の指導者は各国にいます。その代表例は、彼らが事あるたびに名前を挙げる金正日総書記でしょう。
 実際、先般の核実験により、北朝鮮には国連で制裁決議が下っています。核実験を行えばそのような事態が生じる、という事はちょっと考えれば分かるかと思われます。にも関わらず、なぜ国民の食料すら確保されていない国が核兵器を開発し、実験まで行うのか理解に苦しみます。
 その核保有の理由として、北朝鮮の国連大使は米国の北朝鮮に対する金融制裁と敵対行為が北朝鮮の核開発の根本的な原因と語っています。つまり、「アメリカの脅威に対抗するため」なわけです。論法としても、その現実性のなさも、自民党の高官たちと何ら変わりません。
 とにかく、「強力兵器の保有」が国民の安全を守る事にならないのはここ数年の歴史が如実に物語っています。アメリカの世界最強の軍事力を背景にしたイスラム圏に対する圧力行為は、「NYテロ」という結果を引き起こしました。言うまでもなく、大量の核兵器はその際にアメリカ国民を守るのに何ら役に立ちませんでした。
 そのアメリカの行った、「報復」の一環は、「大量破壊兵器を持っている」という論法でイラクを攻撃することでした。そのかつてクウェートを侵略したほどの軍事力を口実にされてフセイン政権は滅ぼされ、イラク国民は現在も戦火の下で苦しむ羽目に陥っています。

 国を問わず、一部の政治業者は核兵器やそれに準ずる強力兵器で軍事力を強化することに熱意を示します。それが権力誇示のためなのか軍事産業との利権によるものなのか分かりません。確かな事は、彼らの満足度が上がることはあっても、その権力の近くにいない大多数の国民にとっては、百害あって一利のない事です。
 彼らとしては、「核兵器保持」と言えないため、「論議」という建前を持ち出しています。ならば、「彼らの論法と北朝鮮の論法の比較」や「権力者の満足度と国民の安全度の乖離」なども含めた突っ込んだ「論議」をぜひとも行って欲しいものです。

2006年11月04日

内閣府の「調査結果」とその報道

 昨日、内閣府が陸上自衛隊のイラク派兵を、七割が評価している、という「調査結果」を発表しました。何でも、9月下旬に全国3,000人を対象に行ったそうです。回答率は60.4%ほどで、「高く評価する」が25.6%で、「多少は評価する」が45.9%だったとの事です。
 そしてその「評価」の理由で一番多かったのは「イラクの復興に役立った」で、67.9%、ついで「戦闘に巻き込まれずに無事に任務を終えた」が45.3%だったそうです。
 この選択肢一覧を見る限り、質問書は「陸上自衛隊派兵はイラクの復興に役立った」という事を前提にしているようです。
 では果たして本当にイラクは「復興」しているのでしょうか。10月もアメリカの兵士がイラクで100人死んだそうです。「イラク新政府」の上に位置しているアメリカ軍の兵士ですらそれだけ死んでいるのですから、前線で戦っているイラク人の兵士は、親米側・反米側をあわせてどれだけ死んでいるのでしょうか。さらに、その戦闘に巻き込まれている一般市民はどのような生活をしているのでしょうか。
 さらに、イラクの現状を紹介しているブログなどを見ると、どう考えても「イラクが復興している」などという認識はできません。
 つまりこれは、存在しない「イラクの復興」および「復興に自衛隊が役立った」事を前提に、陸上自衛隊派兵の評価を「調査」しているのです。それこそ、「大本営発表」を前提にして「1930年代からの日本軍によるアジア侵略はアジアの人々に有益だったか?」という「調査」をやっているのと大差ありません。

 だいたい、その前提のおかしさを別にしても、この「七割が賛成」などという「調査結果」は信用に値するものなのでしょうか。
 この発表が行われた前日に、八戸のタウンミーティングで内閣府が教育基本法「改正」への賛成意見を言う事を参加者に命じた事件が発覚したばかりです。
 それに対し、内閣府は「質問依頼は複数あることを明らかにした」とまで発表しています。この事件はつまるところ、「自民党政府が自らの都合のいいように教育基本法を改悪するために、タウンミーティングで『国民の賛成意見』をねつ造した」わけです。
 しかし、Googleニュースを見る限り、この「国民の意見ねつ造」に対するその後の調査報道などが行われた形跡がありません。同じ「教育問題」でも「高校必修未履修」とはえらい違いです。そして翌日の紙面に載ったのが「イラク派兵を七割が評価」だったわけです。
 ついでに言うと、「イラク派兵調査」の回答率は約6割です。内閣府が自らにとって都合のいい前提と選択肢を設定したにも関わらず「評価」したのは3,000人中1,260人程度だったわけです。しかしながら、内閣府は当初は国論を二分したが、結果的に多くの国民に理解を得られたと発表し、それがそのまま記事になっています。仮に発表された結果を信用するとしても、前提のおかしさと、この賛成者数を見れば、そのまま「七割が賛成」などという見出しで報じる事ができる結果ではありません。ましてや前日の事件があったばかりなのです。
 内閣府の意図する事および、報道機関との関係が非常によく分かった二日間でした。