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2007年03月29日

自民党政治業者でも論破(?)できる相手

 安倍首相が、新聞記者の問いかけをに逆質問をして黙らせた、という記事を見かけました。さらに、それに対して、毎日新聞が分析記事(?)を書いていました。何でも、支持率急落の安倍首相が、内閣支持率の続落で、首相は「どうせ落ちるなら、やりたいことをやる」(首相周辺)という心境になっているとのことです。
 支持されなくなると、国民の意思など無視してやりたいことをやろうとする、という時点で、彼の頭の中に「民主政治」という概念がないことがよくわかります。そんな感覚で、企てている憲法改悪が、ほとんどの国民にとって、百害あって一利ない事があらためてよく分かります。もっとも、該当の分析記事にはそのような観点はどこにもありませんが・・・。

 ところで、この記事の枕になっている、「首相と新聞記者のやりとり」はかなり奇妙なものです。記者氏が、「公務員改革」を行う必要性および、国民にとってのメリットの有無を尋ねると、首相が「あなたは必要だと思いますか?」だの「公務員改革は国民の声だと思いませんか?」などと「逆質問」。すると、記者がいずれも、「はい」と返事し、それに満足した首相が、「なら質問しないでください」と論破(?)する、といったものです。
 「国民が公務員改革を望んでいる」ということで首相と記者氏は合意しています。しかし、本当にそんな事をして、国民にとって何かいいことがあるのでしょうか。過去に何度か書きましたが、この類の「公務員批判」は、私企業で低賃金・長時間働かされる国民の不満を、根源からそらすために、自民党政府と商業マスコミが結託して繰り広げている「分断支配」の一環です。その演出者たちが、「公務員改革は国民の望み」などと言っているのですから、呆れざるを得ません。
 ちなみに、現在、「天下り問題」の目先をそらせつつ、別の利権を生むための「新・人材バンク」なるものの構想が進められています。言うまでもないことですが、これは自民党政府が考えたものであり、「国民の望み」からきたものではありません。

 それにしても、この会話、それ以前に、筋が通っていません。具体的な事実である「国民のメリット」を尋ねたら、「国民が望んでいると思いませんか?」などと「風評」で回答しているわけです。
 「思いこみ」と「客観的証拠」混同して話している、一連の「従軍慰安婦」発言から分かるように、安倍首相をはじめとする自民党政府高官の論法には説得力というものがまるでありません。
 そんな政治業者にも「論破」できる相手がいる、という事を宣伝するために、わざわざ商業マスコミが「斬られ役」を買って出たのではとすら思えます。そう言えば、現在、日本最大の部数を自慢している新聞社の最高権力者は自民党の政治家に取り入ることによって今の地位を得たと聞きます。この記者氏も、そのような目的で「論破」されたのだろうか、などと思わされた、意味不明の「論争」並びに「解説記事」でした。

2007年03月12日

二重の意味で不要なポスター

 都営地下鉄に乗ったら、駅に石原都知事の写真が大きく載ったポスターが貼ってありました。読んでみたところ、花粉症対策のためのポスターだそうです。
 災害の対策なら、公共機関が何らかの啓発をするポスターを貼る必要があるのかもしれません。しかし、そのポスターには花粉症に対する対策は何一つ書かれていません。ただ、都(都知事?)が「花粉症対策をやっている」と宣伝しているだけのようです。
 言うまでもなく、花粉症が発生するのは今の季節です。そんな時にこんなポスターを貼られても何の役にも立ちません。もし、これから花粉症対策をやる、という意図だとしたら、典型的な「泥縄」です。そう考えるとこのポスター、「知事の政策は見当違いだ」と宣伝しているとすら言えそうです。
 さらに、知事選挙の近いこの時期に、何の役にもたたず、ただ知事の写真だけが目立つようなポスターを掲載すれば、何か意図するところがあるのでは、と氏の支持者以外は疑うでしょう。実際、そういう事もあり、都内の自治体にもこのポスターの掲載を拒否したところもあると聞きます。
 そう考えると、このポスター、二重の意味で、都が税金を使って作成・掲載する必要がないものです。そのような物が存在し、かつそれについて、商業マスコミが取り上げている形跡もありません。そのあたり、今の東京都政の状況を象徴しているな、と電車に乗りながら思いました。

2007年03月07日

安倍首相にとっての「証拠」

 安倍首相の従軍慰安婦は狭義の意味での「強制」はなかったなる発言をしたそうです。何でも、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」。首相は5日の参院予算委員会で慰安婦の強制連行を事実上否定した。慰安婦狩りなどの証言も「でっち上げ」と切り捨てた。だそうです。
 被害者本人や当時の関係者の証言は「でっち上げ」なわけです。この調子なら、文書はもちろん、証拠写真だの映像だのがあっても、「ねつ造」扱いするのでしょう。つまり「狭義の意味での強制連行」に関する証拠は、頭から否定するわけです。この論法なら、確かに「狭義の意味での強制連行」の証拠は絶対存在しません。もちろん、これは安倍首相の頭の中でしか通用しない論法ですが。
 心理状態の水準としては、12年ほど前に都心で毒ガステロを起こした輩を「教祖」として絶対的に帰依している信者や、いまだにヒトラーを信奉している一部のドイツ人と大して変わりがないと言えるでしょう。

 さて、毎度の事ですが、報道などを見ると、この発言に対する反響は、かつての日本侵略被害国やアメリカがこの発言を批判している、みたいなものしかありません。もちろん、このような発言が、諸外国の不興を買うのは確かです。しかし、これは果たしてそのような「外交問題」でしかないと考えていいのでしょうか。
 とにかく、自分にとって認めたくない事実は全て「でっち上げ」とした上で「証拠がない」などと言うわけです。そのような人物やその同類にとって、国民の現状というのはどのように認識されるのでしょうか。
 いくら格差が広がって、「ワーキングプア」が増えようと、生活保護申請を拒否されて餓死する人が出ようと、数の減った正社員の多くが給与が減る中で長時間労働にさらされようと、自民党政府・財界はそれを重大な問題として認識することはありません。「ワーキングプア」は「努力不足」で、生活保護申請者は「人権メタボリック」で、長時間労働の会社員は「自己管理ができていない」と、「切り捨て」られるだけです。
 今の日本でそのような事が現実に起きているにも関わらず、是正するどころか、そのような都合の悪い存在は無視して、より一層、格差の拡大するような政治を行っているわけです。
 そのあたりを考えると、今回問題になった安倍発言に見られる姿勢は、アジアでかつて日本軍の性被害にあった人だけに向けられているものではない、という事が分かるのではないでしょうか。都合の悪い存在は無視するし、事実をつきつけられても認めないわけです。その点において、かつての「従軍慰安婦」も今の富まない層の日本人も、安倍首相にとっての認識はさほど変わりはありません。