« 2007年04月 | メイン | 2007年06月 »

2007年05月14日

投票者に情報を伝えまいとする「投票法」

 憲法「改正」を目指した「国民投票法案」が可決されました。地方公務員の運動制限など、いかに「国民に対して、改憲しようとする項目の情報の伝達を制限するか」が特徴の一つとして挙げられます。
 そのような事を行うには何らかの理由があるはずです。今回の法律は、主権者である国民が自ら投票権を行使して、憲法を変えるか否かを決めるためのものです。という事は、そのような情報管理を行わないと、投票者である国民に何か不利益がもたらされるとでも言うのでしょうか。

 仮定の話として、憲法第36条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」を廃止する、という改正案が出たとして考えてみます。
 廃止する側としては、「被害者の気持ち」とか「刑罰を厳しくすることによる抑止力」などを宣伝するでしょう。一方、反対派は、冤罪の場合とか、本当に抑止力があるのかなどを主張するわけです。
 その是非を判断するのは投票者たる国民です。その際に伝えられる情報は量・発信者の数ともに多くなる事により、何か不利益が生じるとは思えません。
 これは、「拷問と残虐な刑罰」に限った事ではありません。どの条項の改正案にせよ、「国民に多様な情報が伝われば伝わるほど、国民にとって不利な結果が出る投票結果になる」などという事は考えにくいです。

 ではなぜ今回自民党政府が作った「国民投票法」は、あれこれと国民への情報伝達に制限をかけようとしているしょうか。国民に利益のある改憲案なら、どのような立場の人がその是非を論じようと、問題はないはずです。
 しかも、その一方で、商業マスコミなどへの広告は一定の条件下で出すことができます。と言うことは、広告主に対して立場の弱い商業マスコミの論調までにも金の力で影響を及ぼせるわけです。つまり、国民が利害を判断するために国民投票を行うのに、自民党政府の主張ばかり伝わるような情報伝達の仕組みが作ろうとしているわけです。
 というわけで、この「改憲案に関する情報伝達の制限」を見るだけで、自民党政府の目指す改憲が、国民にとってどのような影響を及ぼすものか、という事が自ずと伝わってきます。

2007年05月03日

「国民の益」と乖離する9条改憲論

 憲法記念日ということで、自民党政治業者や右派商業新聞が、改憲論を打ち上げています。もちろん、以前から変わらず、その主張にあるのは、「アメリカの命令で軍拡を進めてきたが、より進めるために邪魔な9条をなくす」というだけのものです。それによって国民にもたらされるのは、今以上に進む、将来の生活・安全の低下だけです。
 それを分かりやすく教えて(?)くれたのが、今日の読売新聞社説でしょう。核心はやはり9条であるとして、北朝鮮の核兵器開発や中国の軍事大国化による日本の安全保障環境の悪化や、イラク情勢など国際社会の不安定化に対し、現在の9条のままでは、万全の対応ができない。日本の国益にそぐわないことは明らかだ。としています。「万全の対応」について具体的な記載がないのですが、文脈から判断するに、中国や北朝鮮に軍事力で対抗するのみならず、アメリカのイラク侵略にもより協力できるほど軍拡しなければならない、という意味のようです。

 何度か書いていますが、「軍事力増強によって侵略が防げる」というのは、事実に基づいていません。この事は、数年前のイラクや70年前の日本などを見れば明白です。ましてや、後述するように、彼らは9条改憲とともに、「集団的自衛権の行使」も求めています。ここでの「自衛」は「自らの安全を守る」という意味ではありません。「アメリカに従って侵略戦争を手伝え」という意味です。
 そんな事に国の税金を大量に消費してつきあうわけです。確かに、70年前がそうだったように、そのような戦争に関わる事により、政治権力者やそれに従う商業マスコミには「益」があるのでしょう。しかし、少なくとも普通に暮らしている国民にとっては何の「益」もありません。
 ところが彼らは、現在の9条が「日本の国益にそわない事は明らかだ」と断言しています。この事からも、彼らにとっては、「国益」は、多くの国民にとっての損得でなく、自分たちの周辺だけの利益を意味している事がわかります。つまるところ、「お国のために」という名目で、国民を兵士としてかりたて、多くの命を失わせた70年前と何ら変わっていないわけです。

 さらに、後段の「集団的自衛権の行使」の根拠においては、日本を守るために活動している米軍が攻撃されているのに、憲法解釈の制約から、近くにいる自衛隊が助けることができないのでは、同盟など成り立たない。などと言っています。
 あれだけ世界中で侵略行為をし、それに自衛隊もつきあわせているアメリカが「日本を守るため」に存在する、という論調もなかなかのものです。まあ、確かに、米軍は、「日本にある自国の軍事拠点を維持する」するための努力はしています。そういう意味では「日本を守る」になるのかもしれません。もちろん、「守る」の対象は、自国の軍事的権益に絞られ、「日本国民」などは入っていません。
 このことは、米軍が日本で事故や不祥事を起こして国民に被害を与えた時、「米軍の対面と米兵の安全」と「被害を受けた国民の権利」のどちらを優先して行動しているかを考えればよく分かります。
 ところで、「集団的自衛権」の発動要因となる、「米軍が攻撃されている」というのはどういう状況でしょうか。もちろん、北朝鮮軍がニューヨークに攻め込み、それを米軍が防御する、などというものではありません。あくまでも、「仮想敵国」に攻め込んだ米軍が反撃を受けた事を意味しています。相手が無血開城でもしなければ、必ず米軍は被侵略国に反撃を受けるわけです。その対処を自衛隊が手伝うのが「集団的自衛権」の発動なわけです。そこには、「日本国民の安全を守る」などという視点はどこにも存在しません。

 つまるところ、国民にとって何ら益がないことを、あたかも、国民の安全のためには必須、であるかのように見せかようとしているわけです。それを元に、9条改憲ならびにそれにあわせての軍事力強化が必要である、と主張しているわけです。
 自民党政府とそれに従う商業マスコミが、彼らに取ってのみ益があり、国民にとって何ら益のない事を「国益」と主張するのは彼らの勝手です。しかしながら、その主張につきあう、国民が自分たちの「益」を損ないながら、彼らの「国益」に貢献する必要はどこにもないでしょう。