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2007年07月27日

「自民党に勝てばいい論」に欠落しているもの

 ここ数年、選挙のたびに出てくる主張として「自民党を倒す、という事が最優先課題である。したがって、自民党を支持しない人は民主党に投票すべきだ。他の野党候補が立候補するのは、むしろ自民党を利する行為である」というものがあります。この手の主張は根強く存在します。中には国境を越え、アメリカの大統領選挙で二大政党に与せずに出陣し続けるラルフ=ネーダー氏を痛烈に批判する日本人すらいるほどです。
 確かに自民党政府による政策にはろくなものがありません。国会では強行採決を連発して「国民投票法」成立や、教育基本法改悪などを行っています。一方、首相を初めとする閣僚の言動も呆れるものばかり。「公の場で特定の病人を差別する発言をしてはいけない」という社会人にとっての最低限の常識をわきまえない輩が、主要な地位の閣僚であり続けるほどの品質の低さです。
 この自民党の異常ぶりを見ていると、冒頭の宣伝に影響され、「ならば民主党に票を集めて、自民党をひきずりおろすべきだ」と思う人もいるかもしれません。
 しかしながら、この主張には、ほんの十数年前に実際に発生した事実を意図的に無視する、という重大な問題点があります。

 1980年末から1990年代初頭にかけ、当時の自民党政府の要人はさまざまな疑惑にまみれ、自民党への評価は大きく下がっていました。そんな中、自民党の実力者でありながら、党内抗争などがあって離党した、現民主党党首の小沢氏などの動きもあり、「非自民」の細川内閣が誕生し、自民党は結党以来初めて、政権の座から退きました。
 しかしながら、細川内閣、さらにはそれを継承した「非自民」の羽田内閣の行った政治、というのはどのようなものだったでしょうか。この時代の内閣の「成果」として挙げられるものは、「わざわざ税金から政党の活動費を支払う政党助成金」「自民党の長年の悲願の一つであった衆院での小選挙区制」「福祉目的という建前での消費税増税の道筋をひいた」といったものです。
 結局、この「非自民政権」の成し遂げたものは、自民党の目指していた政策を実行した事と、自民党政府に対する国民の不満の行き先を、自民党と同じ中身を持つ政治勢力に向けさせた、という二点でした。
 そして、かつての「非自民」の中心人物であった小沢氏率いる民主党は、党所属議員の「有志」が自民党議員と仲良くアメリカの新聞に「従軍慰安婦否定広告」を出したりしています。中には、自民党の閣僚ですら「南京ではなんらかの虐殺はあった」と答弁するのに対し、「そのような物は一切なかったと認めろ」と国会質問する民主党議員もいます。
 もちろん、今回は参議院選挙ですから、仮に民主党が勝っても政権交代は行われません。とはいえ、「反自民票を民主に結集」などという主張をする以上、民主党が政権を取ったらどのような事が行われるか、について過去の実績を振り返りながら考えるのは重要です。しかしながら、そのような過去および現在の民主党議員の実績を考察をした上で、「自民党を支持しない人は全て民主党に投票すべきだ」などと主張する人はまず見たことがありません。

 かつての「非自民内閣」の実績、および現在の民主党の実績を考えれば、「自民党政権から民主党政権」というのが、「よりまし」などという安易な言葉で語れるものではない、という事が分かります。加えて言うと、そのような「自民党が失政を繰り返して国民の不満が高まった際に、その『受け皿』を民主党が担う」という事が、どのような勢力にとって望ましいのか、というのも考えて見ると面白いかと思っています。

2007年07月17日

自民対民主?

 自民党が、各TV局に安倍首相の出演を要請したそうです。その中での条件がいろいろ細かくあるのですが、その中に、「野党党首との論争は、民主党の小沢党首に限る」というのがあったそうです。
 商業マスコミ言うところの「二大政党の流れが加速」している状況において、民主党は自民党の政権を脅かす存在のはずです。ところが、その政敵とはTVで論争できるが、より勢力の小さい他の政党の党首とは話せない、というのはどういう事なのでしょうか。

 もっとも、ここまで民主党が行った「実績」を見れば、首相の意図は簡単に分かります。これまで、民主党のうたった政策は、自民党の政策をちょっと変えただけです。また、自民党が失策を行った際にもその本質を追求することはできません。それどころか、「偽メール事件」だの「小沢党首の事務所費問題」などで、自民の失策をフォローする有様です。
 そのような、「サポート部隊」だからこそ、首相も小沢党首との対談は認めるのでしょう。確かに、小沢党首が、首相の非論理性をついて、答えに詰まるような質問をしてくる可能性は考えにくい物があります。
 先述したように、商業マスコミは「二大政党の流れが加速」などとあおり立てています。わざわざ「自民と民主の二択」みたいな「世論調査」を行って、その結果を大きく報じたりもしています。しかし、肝心の両党の中身は同じなうえに、相互扶助関係にあるわけです。そんなものを「二択」にしても、何の意味もありません。
 もともと、今の「自民と民主の二大政党」なる体制ができつつあるのは、財界などの希望によるものであり、多くの国民にとって必要になったからではありません。
 民主党ができて以来、自民党政府を始めとする、改憲や国民生活を犠牲にした経済成長を目論む人々にとって、「選挙での勝利」というのは、「自民党と民主党のどちらが勝つ」でなく、「自民+公明+民主」の合計が伸びるかどうかなのでは、と思っていました。今回の「TV討論の相手は小沢党首限定」という首相の要望は、その考えを確信させてくれた、という意味では極めて有意義な発言でした。

2007年07月11日

侵略正当化ハラスメント

 身内の女性から、職場で嫌がらせを受けた話を聞きました。なんでも、同じ職場の男性が、IMなどでひたすら、「南京大虐殺否定論」だの「従軍慰安婦商行為論」だのの主張を送ってくるとのことです。別にその女性は職場で政治的な活動をやっているわけではありません。普通に働いているだけです。
 もちろん、どのような思想を持とうがその人の自由です。ナチスのユダヤ人虐殺を肯定しようと、サリン事件を肯定しようと、頭の中で考える分にはその人の権利です。とはいえ、それを違う思想を持っている人に、相手の気持ちを考えずに一方的に主張する、というのは正常とは思えません。

 しかも、内容が内容です。性的な事で異性に嫌がらせを行えば「セクハラ」として問題になるのが普通です。それに対し、「慰安婦問題」は、桁違いの性暴行問題です。以前も書いたように、安倍首相らの妄想を前提とした「商行為説」が成り立ったとしても(もちろん、成り立ちようがないのですが)、やっとそれで東南アジアの少女買春と同レベルにしかならないのです。
 そのような極めて大規模な性的虐待事件を正当化する意見を、職場で嫌がる女性に押しつけるわけです。ある意味、究極の「性的嫌がらせ」です。
 そうやって考えてみると、公共の場や媒体を使って「他国を侵略して大量の人を殺し、さらに殺人のために性欲処理として大量の女性をひどい目にあわせた」というような事を正当化しようと主張し続ける輩の存在、というのは何になるのでしょうか。
 殺人や性的暴行が好きな人はそれを見たり聞いたりして嬉しくなるのかもしれません。しかし、それが嫌いな人にとっては、政治業者やマスコミのそれらの主張は「嫌がらせ」以外の何者でもありません。さらに、彼らは権力を傘に、それを声高に主張しています。権力によってそれを押しつけるのですから、「セクハラ」に「パワハラ」を加えた、と言っていいかもしれません。
 具体的な被害を知ってあらためて、自民党政府や右派マスコミの行っている主張が、いかに社会的に不適切なものであるか、改めて認識させられました。

2007年07月02日

「事実上の撤回」でより明らかになった本質

 久間防衛相が、大学で行った講演で、原爆投下について、「しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」などと発言したそうです。
 一日たって「事実上の発言撤回」なる事をしたそうです。ところがその発言は「原爆を落とすのを是認したように受け取られたのは残念だ。(当時の)ソ連の意図や米国が原爆を落とすことを見抜けなかった判断ミスを含めての話だ」と述べ、原爆投下を止められなかった当時の日本政府への批判が真意だと釈明した。というものです。

 これは、「与党内での反発が強かったからとりあえず謝った」というだけで、認識ならびに言動としては何ら変化がありません。その象徴が、釈明会見とやらで述べた「ソ連参戦や原爆を見抜けなかった事が(当時の日本政府の)判断ミス」という一言にあります。これをもって「当時の日本政府への批判」としていますが、実は全くもって批判になっていません。1945年7月の時点で、すでに日本軍は各地で敗れて大量の戦死者・餓死者を出していました。その一方で「本土」のほうも、空襲により、「東京大空襲」を筆頭に、幼児も含めた多くの一般市民が虐殺されていました。さらに沖縄では、日本軍による「集団自決の強制」という国民の虐殺もありました。
 しかしながら、当時の天皇制政府は、「もう一度戦果をあげ、少しでも有利な条件で講話をしたい」という、自らの保身を優先して降伏を先延ばししていました。つまり、自らの体制を守ることを優先し、日ごとに死んでいく多数の国民の命など何とも思っていませんでした。言うまでもなく、もっと早い段階で降伏すべきであり、「アメリカが残虐兵器を使用する」だの「ソ連が参戦する」だのの予想がどうこう、という話ではありません。根本的に間違っている事であり、「判断ミス」などという次元で語れる事ではないのです。
 「釈明」がこれなのですから、いかに久間氏ならびに、与党内の反発が明確になるまで氏をかばった首相が、先の大戦に対して無知かつ無思慮であるかよくわかります。あわせて、「怒られたから渋々『撤回』した」だけで、「アメリカ従属」「国民の命を軽視」「天皇制政府の戦争を基本的に肯定」という考えに何ら代わりがない事も改めてよく分かりました。
 このような人々が、憲法を変えて再び戦争をしようとしているわけです。それによって国民にもたらされるのは何なのでしょうか。少なくとも、戦争をしようとしている人々には、それによってもたらされる国民の被害は「しょうがない」程度の認識でしかありません。まあ、それが鮮明になった、という意味では意義のある防衛相の発言並びに首相の擁護ではありました。