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2009年07月21日

117億円の文化施設とと3億3600万ドルの移転経費

 最近、週に一回くらい、「国立メディア芸術総合センター」を批判する報道を見ます。この施設を作る目的も、どのような物を作ろうかとしているのかもよく知りません。したがって、賛成でも反対でもないのですが、その批判を見ていると、非常に気になることがあります。
 これらの批判における最大の「標的」は、117億円もかけて、文化施設を作る、という「税金の浪費」にあります。
 もちろん、税金を無駄に使うのは良くない事です。ところが、同じく現在進行中である、3億3600万ドルの税金をかけて行なっている、「沖縄駐留米軍のグアム移転」については、そのような批判はほとんど出ません。費やされる税金の額は「芸術総合センター」の倍近くですから、本来なら、批判の数も倍あるべきです。
 しかし、批判どころか、「グアム移転に税金が3億3600万ドル使われる」という事が大きく問題視される事すらありません。

 しかも、これまで自民党政府や商業マスコミは、米兵による殺人や婦女暴行などで、在日米軍に対する批判が出るたびに、「それによって日本の安全が守られている事を忘れては困る」などと言ってきました。
 その論法からすると、今回、沖縄からグアムに米軍が移転する、というのは「日本の守りが弱くなる」という事になるわけです。
 そのような、「日本の安全を脅かす行為」に、多額の税金をかける行為はなんら話題にせず、その半額程度の税金で作られる文化施設についてばかり批判している様子は、正常とは思えません。
 毎度の事ですが、国民の不満明後日の方向にそらし、本質には目を向けさせない手法だけは長けているものだ、とは思いました。
 なお、相手の論法を援用しているため、あえてグアム移転を「日本の守りが弱くなる」とは書きました。もちろん、当ブログで以前から述べているように、在日米軍の存在目的が日本国民を守るためのものではありません。
 まあ、自民党政府もそれを分かっているからこそ、グアム移転に何ら難色を示さないどころか、多額の税金を平然と供出しているわけです。

2009年07月15日

「日本の軸」と「大衆」

 先週の日経新聞一面で、三日にわたって「日本の軸を問い直す」という連載をやっていました。
 世界経済危機の影響から回復しきれない現状を踏まえての、政策に対する提言という事になっています。しかし、その内容は毎度お馴染みの「構造改革」「規制緩和」「消費税増税と法人税減税」「社会保障の見直し」という、「新自由主義のより一層の推進」でした。ちなみに、「小泉改革」の問題点は「郵政以外の『改革』の推進が鈍かった事」だそうです。
 一方で、福祉の改善など、国民にとって益のある政策については、「大衆迎合」の一言で切り捨てています。

 この記事では、意識してか、主題である「日本の軸」が具体的に何であるかは書いていません。しかし、それは連載の一回目を途中まで見ただけで簡単にわかります。この記事においての「日本の軸」を「大企業の利益」と置換えても、文章の意味が何ら変わらないからです。
 つまりは財界の利害しか考えていない「広報記事」が三日にわたって一面を飾ったわけです。さすがは今年からは経団連本部と同じ敷地に本社を移転しただけの事はあり、完全に一体化しています。
 彼ら(財界=日経)にとっての「日本の軸」が大企業の利益であると言うことは、軸さえ維持しておけば他はどうなろうと、知ったことではない、という事になります。だからこそ「軸」から遠いところに存在する、低所得の労働者などのために政治を行なうことは、本筋から外れた「大衆迎合」として批判するのです。
 そして、実際に政治を執行する「二大政党」はいずれも財界から政策を「採点」され、その結果に応じて資金を供給されています。したがって、現在の政治の枠組みが続く限り、このような「軸」のみ太くなり、他はやせ細る状況は続くでしょう。
 実際に、昨年秋からの世界大不況において、「軸を守るために他を犠牲に」は実行されました。そして、「派遣切り」などを行なうことにより、「軸」である大企業の被害を最小限にとどめることができたわけです。
 今後もこのような政策が続けば、「軸」だけは栄え続けるでしょう。なにしろ、「軸」を守るためにいつでも切り捨てることが出来る「大衆」は無数にいるのです。そして、これまでの例からも分かるように、「軸」がどれだけ安定して太くなっても、切り捨てられる側の状況が改善することはありません。

2009年07月09日

選挙演説で堂々と嘘が言える世の中

 朝、駅から出て会社へ向かったら、民主党の選挙演説が聞こえてきました。内容は、石原都政による福祉削減と、新銀行東京の批判でした。
 ちょっと調べれば分かることですが、民主党は、そのどちらの政策にも都議会では賛成しています。少なくとも、歩きながら聞こえた限りでは、彼がそれらの政策に対し、党の方針に逆らって反対した、などという話はありませんでした。
 つまり、この候補者は自分や所属政党が賛成した政策について、自らの議会においての言動を隠して隠して批判しているわけです。
 もちろん、今回の都議選において、民主党がそのような演説や宣伝を繰り返していることは知ってはいました。しかし、実際に直接それを聞くと、不快感よりもむしろ、恐怖心を感じました。

 この候補者は、このような「選挙になったら事実を隠して石原都政批判」という「変わり身」を指摘されている事は知っているはずです。しかしながら、商業マスコミは、その事についてはほとんど報じません。代わりに今回の都議選を「自民対民主の与野党対決」「結果によっては政権交代の流れが加速」などと宣伝しています。
 そのような報道があるからこそ、彼らは朝っぱらから堂々と嘘を言えるわけです。
 ちょっと前に行なわれた千葉県知事選挙でも、自民党の現役支部長が「完全無所属」を売りに立候補した、という事がありました。その事は選挙期間中から判明していた事ですが、報道されたのは、なぜか彼が当選した後でした。というわけで、彼は期間中、堂々と嘘をつき続け、知事の椅子を手に入れました。
 こういう前例があるからこそ、この候補や政党も、商業マスコミの応援を元に堂々と嘘をついているのでしょう。つまり、政治業者と商業マスコミの結託により、そのような事がまかり通り、それが投票にも影響を及ぼしているわけです。
 民主政治において民意を政治に反映させるには、立候補した人間が政策を主張し、それを有権者が判断して投票する、というのが大前提です。その部分で嘘をつくことがまかり通っては、民主政治が機能しなくなってしまいます。
 駅から会社は近いので、演説はずっと聞こえていました。それを聞けば聞くほど、そのような事が頭をよぎり、「今後も、このような選挙がまかり通るのだろうか」という恐怖感が増大していきました。