ひめゆりの塔

 沖縄に行って「ひめゆりの塔」の資料館を見てきた。筆者はもともと「15年戦争とは、自国・他国を問わず多くの民衆を権力者が虐殺した戦争」という考えの持ち主である。また、戦争での残虐行為を描いた記録を読んだ事も何度かある。しかし、ここで見たものは、それらの思想・知識を越えて、心に突き刺さるものであった。
 まず最初に印象に残ったのは「集団自決」であった。「沖縄の集団自決」そのものは、小学生の時に読んだ漫画も出ていた。その後も、歴史の授業でも習ったが、筆者は「アナクロニズムな『武士道精神』の押し付けで自殺を強いた」という程度の認識でしかしていなかった。しかし、展示された資料を見たときに、「集団自決」を強制したのは、そのようなものではない事がわかった。
 日米両軍にとって沖縄は戦略的な拠点であった。米軍にとっては沖縄を確保すれば本土空襲がよりやりやすくなる。逆に言えば日本にとっては沖縄を抑えられると本土防衛がやりにくくなる。つまり、沖縄を防御しきれなくても、ここで抗戦すれば、そのぶん、本土決戦までの時間稼ぎにもなるわけだ。
 したがって、沖縄の民間人などの生命を重視する必要はない。あくまでも本土決戦まで、いかに時間を稼ぐか、というのも戦略の一部分なのだから。ならば、仮に沖縄の民衆が降伏して米軍に軍事情報でもしゃべられたら困る。ならば、捕虜になる前に死なせればいい、という発想である。
 こうして、「集団自決」という非人道的な行為の強制が行われたのである。

 資料館の「主役」は沖縄の女子高校生による看護部隊である。彼女らもこの時間稼ぎの戦いのために、若くして殺されていった。学校で徹底した「皇民化教育」を受けたため、「お国のために」という純粋な気持ちで、親の反対を振り切って戦場に赴く。そこでの業務は「ひめゆり」という名には似つかわしくない凄惨なものであった。
 敗色濃厚の野戦病院なのだから、設備などほとんどない。最も頻繁に行われる「治療」は腕や足の切断である。麻酔もせずに切断するのだから、想像を絶する痛みであろう。その兵士を暴れないためにおさえつけるのが彼女らの仕事なのだ。それが毎日何度も行われるのだ。
 ちょうど、筆者達がいた時に、「ひめゆり部隊」の生き残りの方が体験談を話していた。どこにでもいそうな品の良さそうな普通の老婦人が、淡々とした口調で以下のような事を話すのだ。
 「兵士達が私たちに、『ウジを取ってくれ』と哀願するのです。傷口にはおびただしい数のウジがわくのですが、それを自分で取る事ができないくらい弱っているのです。昼は、銃弾の飛び交う音が聞こえるから気になりません。しかし、夜、静かになると、ウジが傷口を食べる『シャリシャリ』という音がいっせいに聞こえてくるのです。
 しかし、野戦病院で看護をしている間はまだ真の地獄ではなかった。いよいよ沖縄戦の帰趨が決しようとした時、司令官が恐るべき命令を下したのだ。
 「解散命令」である。解散といっても「学校まで送り届けてそこで解散、各自帰宅」ではない。最前線の戦場の真ん中で、「面倒は見切れないから好きにしろ」と命じたのである。最初にも述べたように、捕虜になって情報が漏れるくらいなら死んでもらったほうがまし、という発想である。こうして、さらに多くの女学生が死んでいった。
 話をしてくれた生き残りの老婦人は、先輩達と一緒に行動していた所を銃撃を受けた。足を撃たれて倒れたら、その上に撃たれた先輩達が折り重なって倒れたため、奇跡的に銃弾を浴びずにすんだ、との事である。

 筆者にとって「戦場を体験した人の話」を聞く初めての機会だった。もともと反戦思想を持っていたはずの筆者が、自分の認識の甘さを痛感させられたのだ。最後に老婦人は「このように、戦争とはひどいものなのです」と言って話を終わらせた。最近、十五年戦争を賛美する勢力が台頭しつつあるが、彼らがいくら声を高くして叫んでも、この老婦人の一言ほどの説得力を持たせるのは不可能であろう。  


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