愛国心について−1.戦前の「愛国心」は現在に通用するのか

2003/08/18

 いつの間にか、少なからぬ自治体で、公立学校の通知表に「愛国心」なる項目ができていたらしい。確かに「日の丸」「君が代」の次に子供に押し付けるなら「愛国心」というのは自民党政府の感覚からすれば当然の流れなのだろう。
 では、その「愛国心」とはいったいどういうものなのだろうか。一般的に認識されているのは、戦前に使われた「愛国心」なのだろう。権力の座を維持し、国民から搾り取るだけ搾り取るには、あれほど都合のいいものはなかった。そこでまず、戦前の「愛国心」がどのようなものであったか、さらにそれが現在の国際社会に通用するものなのかを考えてみる。

 戦前の最高法規は明治憲法だった。この憲法においての主権者はただ一人「神聖ニシテ侵スヘカラス」の天皇である。つまり、「天皇=国家(もしくは天皇>国家)」だったわけだ。したがって、愛国心=天皇への忠誠心と、極めて単純に考え、実践する事ができた。
 そのため、中国を侵略して現地の人を細菌兵器の実験台にすることも、立派な「愛国心」だった。また、降伏は時間の問題となっている状況で、爆弾に飛行機を積んで確実に死ぬ状況で敵艦に体当たりする、という行為および、若者にそれを強いる事もやはり「愛国心」だったわけだ。
 しかし、このような思想・行為はあくまでも天皇主権の国家のもとでの「愛国心」である。今の憲法での主権者は1億数千万人の国民すべてである。したがって、現憲法下での「愛国心」は、当時のものとは全く異なるものでなくてはならないはずだ。
 加えて言うと、戦前の「愛国心」は、「国家すなわち天皇制政府がよければ、それ以外はどうでもいい」というものだった。そのため、先ほど書いたような非人道的行為が「愛国心の発露」として評価されたのだ。その「愛国心」の結果、日本はいまだに中国や韓国などに負の評価を受けている。つまり、本人が「愛国心」のつもりでやった事でも、結果的に国の恥をさらす事になってしまったわけだ。

 そのような観点から、現代において国の名を高める行動とはどのようなものか考えてみたい。一例として、スポーツの場合を挙げてみる。
 たとえば、日本発祥のスポーツである柔道を習得して、オリンピックで金メダルを取れば、日本柔道ひいては日本の評価は上がる。この場合、日本人が日本発祥のスポーツで優れた成績を修めただから、分かりやすい「愛国的行動」と言えるだろう。
 では、異国のスポーツをを習得し、発祥の地に渡って優れた成績を挙げれるのはどうだろうか。一番分かりやすい例は野球だろうか。戦時中だったら野球をやる事だけでも、「敵性スポーツ」として弾圧の対象になる「非愛国的行為」だった。ましてやアメリカに渡って野球をするなど論外だっただろう。また、今の世の中にも、大リーグで活躍した日本人選手を「売国奴」呼ばわりした人が存在する。
 しかし、そのようなごく一部の例外は除けば、現代では日本人も現地の人も、そのような活躍を高く評価する。野茂投手に始まって佐々木投手・イチロー選手・長谷川投手・松井選手が大リーグで好成績を挙げた、それにより、日本の野球の評価が大幅に上がった。そしてそれは日本の印象も良くしたのだから、これらの野球選手の活躍も立派な「愛国的行為」と言えるだろう。

 次は、「国の環境」に関する事例で考えてみる。たとえばある企業が、国内の工場で出す産業廃棄物を、環境基準の緩い発展途上国に持っていって捨てたとする。こうすれば、日本の環境は汚れない。しかし、それによって、投棄先の国から「日本企業が自国で発生した有毒物を我が国に捨てて環境を汚した」という評価を受ける。その結果、日本の評判は落ちるわけだ。
 一方、そのような発展途上国の産業廃棄物投棄を告発して、日本企業に責任を取らせ、その国の環境浄化を実践した日本人がいたとする。この行為は日本という国の環境には何ら役立たない。しかし、そのような日本人の存在は、先方に「日本にもこのような人もいるのだ」と思われ、日本に与えられた負の評価を緩和できるだろう。
 ところが、戦前だったら、前者の企業が「愛国」で、後者の告発などは「売国奴」と評価されただろう。
 このように、「国の印象を良くする行動」というのは、戦前と現在では大きく異なるのだ。また、スポーツ選手にせよ、環境問題に取り組む人も、「愛国心」などという言葉を意識して行動はしていない。一方、戦前では子供の頃から「愛国心」の教育を受けた人たちが、「愛国心」の名のもとに他国民に迷惑をかけて日本の印象を落とし、ついには国土まで焼かれてしまったのだ。

 こうやって考えていくと、戦前に教えられていた「愛国心」は、現在の「主権在民」にあわないものである上に、その利己的な思想ゆえにかえって日本に持たれる印象を悪くしてしまうものであることがわかる。
 つまり、かつての「愛国心」は、発露すればするほど、日本にとってマイナスなものだったわけだ。では、現在自民党政府が推し進めようとしている「愛国心」は一体どのようなものであり、かつ本当に今の日本に必要なものなのだろうか。それについては次回で。


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