異常な殺人事件が発生した場合、一部マスコミでは加害者の情報を過剰なまでに報道する。特に加害者が未成年だと、意識して少年法を無視・軽視したような報道をする。 そこで彼らが持ち出す建前の一つに「被害者や遺族の悲しみを考えると、犯人にはもっと厳しい制裁が必要だ」というものがある。さらに、そのような報道を批判するような人は「凶悪犯罪の現実を理解していない『人権屋』」などと言って攻撃する。
しかし、その類の犯罪報道を見ていると、加害者について根掘り葉掘り書くようなマスコミは、被害者や遺族に対しても極めて無神経な報道を行っている。
一番顕著なのは、容疑者が逮捕されたときに被害者の家に押しかけて「今のお気持ちは」などと聞く事である。しかもひどいことに、「免田事件」のように、冤罪が判明したときもまた被害者の遺族の家に押しかけたりするのだ。
そのようなコメントを集める事に、社会的な必要性があるとは考えられない。そこにあるのは、「被害者や遺族の悲しみぶり」を見て楽しむという、一部読者・視聴者の「覗き見趣味」を満足させるだけの事でしかない。そして、その程度の報道目的のために、被害者や遺族はさらなる苦しみを与えられるのだ。
特に被害者が女性で、なにか異性関係のもつれなどがあった場合は特にひどくなる。あたかも被害者・遺族が犯罪者でもあるかのような生活侵害を平気で行い、故人のプライバシーをこれでもかと流しまくる。
もう一つ無神経さを感じるのは、被害者の写真の取り扱いである。陰惨な事件があった場合、一ヶ月後や一年後などに、その事件の後日談を報じたりする。その際に、吊り広告や新聞広告に被害者の写真を掲載するのだ。後日談を書く意義そのものにも疑問はあるが、なぜ被害者の写真まで載せる必要があるのだろうか。
先日も幼くして殺された人の写真が週刊誌の広告に載った。その広告をデザインした人には、もし遺族がそれを見た時にどう感じるか、などと考える心は存在しないのだろうか。
このような記事・広告を載せるのは結局のところ「部数をたくさん売って収益を得る」ためでしかない。そして、そのような目的のために、凶悪事件の被害者に対し、傷に塩を擦り込むような行為が当然のように行われているのだ。
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