自民党総裁選の報道について

2003/09/11

 自民党という一政党の総裁選挙を、各マスコミが全力を挙げて報道している。現在の国会の勢力図からすると、この選挙の勝者が首相になる。したがって「首相を選ぶ選挙」だから大きく報道する、というのが理由のようだ。
 しかし、正確には「最大与党の総裁=首相」などという決まりはどこにもない。自民党が最大与党で内閣の中心でありながら、別の政党の党首が首相をつとめた例だって約10年前にはあった。さらに言うと、20数年前には、自民党議員が自民党総裁である首相の不信任案に賛成をしたこともある。確かに、今回は総裁選の勝者は首相になるだろう。しかしそれは自民党の都合で決まるものであり、公的なものではない。したがって、「この総裁選は首相を決める選挙だから注目する必要がある」とは言えない。
 だいたい、この総裁選に、「選挙権」があるのは全国で162万人(2002年時点)の党員のみである。しかも、公職選挙法が適用されているわけでもない。したがって、いくら新聞が通常の選挙報道と同様、いやそれ以上に大々的に報道しても、読者の98%以上には何ら関係のない「選挙」なのだ。にもかかわらず、各マスコミは、各立候補者の政策を掲載し、全国遊説の状況を取材し、候補者の一挙一動を報道する。しかも、あたかもこれが公的なものであるかのように「世論調査では小泉総裁が優勢」などという記事を載せたりする。
 さらに呆れるべきは、「各候補者の政策」の報道姿勢だ。細かい違いがあっても、「従米・大企業重視・国民負担の増大」という本質は変わりがない。これは、自民党員なのだから当然のことだ。だいたい、国政選挙の公約ですら平然と破る自民党議員である。それが平然とまかり通っている中で、党内の選挙で主張した事など、国民にとっては何の重みのないものだ。
 その程度のものを彼らの主張そのままに掲載し、ご丁寧に細かい差異を比較検証までしている。普段の国政選挙や地方選挙で、自民党の意図とおりに争点をぼやかすような報道し、を「争点が明確でなかったので投票率が下がった」などと他人事のように論じるのとは偉い違いだ。

 このような報道をして一体どのような効果があるのだろうか。まず明白なのは自民党が得する、という事だ。党内の行事を行うだけで、全マスコミが「政策」を大々的に載せ、候補者の一挙一動を報じてくれるのだ。広告費に換算すれば何十億円くらいの効果はありそうだ。
 実際、総裁選が始まって以来、小泉内閣の支持率は上がった。あれだけ経済を冷え込ませ、国民負担を増大させておいても、党内行事で2年半前の焼き直しで調子のいい事を言えば支持率が上がるのだから、笑いが止まらないだろう。
 一方、報道をする側にはどのような影響があるだろうか。総裁選を重視して報道する以上、一つでも多くのニュースソースを得たい。そのためには、候補者を始めとする自民党関係者に少しでも快く思われようと努力せざるをえない。その結果、彼らとの関係はより一層親しくなる。
 そのような関係になれば、自民党の失政やスキャンダルの追及は難しくなる。あまり鋭くやれば、次回の総裁選の時に冷遇される危険性も生じてしまう。そのため、社レベルで「一定以上の追及は自粛」という事になるだろう。実際、小泉首相にもカネにまつわる疑惑は何回か出たが、首相側がノーコメントの類を繰り返しているうちにいつのまにか立ち消えになっている。

 このように、自民党の総裁選を大々的に報道するという事は、実際には国民とは別次元で行われている「党内行事」を、あたかも国民にとって重要なものであるかのように報じ、ついでに特定政党の政治宣伝を行う、というものでしかない。そして、その裏では、自民党とマスコミの親密化がより一層進むわけだ。
 総裁選報道を見て、「四人の中では小泉首相がマシだから小泉支持」などと達観ぶるのは、一見カッコ良さそうだ。しかし、実は自民党とマスコミの思うツボにハマっているだけなのである。
 重要なのはむしろ、マスコミが自民党総裁選をここまで大々的に報道した、という事実を認識する事にある。そうすれば、政治・経済・外交の重要な局面でマスコミの報道を見るときに、「所詮は自民党総裁選を大々的に報道した会社の言っている事だ。これだって自民党に利する報道の可能性が高い」と、距離をおいて記事を吟味できる。その時はじめて、自民党総裁選報道が実生活の役に立つ、とも言えるのかもしれない。


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