「マスコミ」という情報産業について

2004/02/08

 新聞社の二大収入源は購読料収入と広告料収入である。購読料は読者から、広告料は掲載する企業・団体(政府などを含む)などから得るわけである。
 新聞社も企業である以上、収入を増やす必要がある。すなわち、購読者数を増やす事によって購読料を増やし、広告出稿企業・団体を増やす事によって広告料を増やすわけだ。
 こう書くと、新聞社にとっては、一般の読者と、広告主が「二大スポンサー」であるかのように一見思われる。しかし、実際はそのような事はない。
 日本の新聞の特徴の一つに「宅配制度」がある。毎朝(と夕方)に新聞が家に届く制度のことだが、このような制度が一般化されている国は世界でも珍しい。その結果、世界の新聞の発行部数の上位は、日本の新聞が占める結果になる。
 その世界に誇る発行部数だが、数はともかく、その契約方法は世界に誇れない部分が多い。宅配契約をするための勧誘員は夜に人の家にやってきて、不快感をおよぼすような方法で契約を迫る。筆者も何度かそのような経験をしている。一度など、チャイムが鳴ったのでドアを開けたら、いきなり胸ポケットにビール券を突っ込んだ勧誘員すらいた。このような問題は筆者のみではなく、各所で問題になっている。京都市のサイトでは、新聞勧誘を、キャッチセールスや先物取引などと一緒に「悪徳商法に気をつけましょう」の一覧に掲載している
 もちろん、宅配の読者が全てこのような勧誘で契約したわけではないだろう。とはいえ、新聞の二大収入源の一つの購読料収入が、このような形で支えられているのは事実だ。
 このような契約方法はそれ自体が問題だが、もう一つの問題が生じる。新聞購読者が新聞を選ぶ基準が新聞の紙面ではなくなる、という事だ。どのような記事が載っているか、という事より、「勧誘員の持ってくる景品」とか「勧誘員の押しの強さ」が新聞を選ぶ理由になってしまう。

 その一方で、もう一つの収入源である広告料のほうは解りやすい。とにかく広告主に気に入られればいいわけだ。したがって、広告を出す企業の事はなかなか悪く書けなくなる。例えば、広告を出してくれている企業の問題を追及する企画記事などは掲載しづらくなる。そして、広告主は企業だけではない。「政府広報」という形での広告も重要な収入源だろう。また、選挙になれば、政党からの広告も多くの収入をもたらしてくれる。つまり、政府も政党も「スポンサー」なわけだ。したがて、彼らの意に反するような記事も書きづらくなる。
 それに加え、情報源の問題がある。例えば、政府の新政策などを他社に先駆けて報じるには、記者クラブなどを対象に行われる発表以上のものを、何とかして入手する必要が生じる。そのためには、記者は「ニュースソース」となる政治家・官僚と良好な関係を築くに越した事がない。それは記事にも影響してくるだろう。

 ところが、もう一方の収入源である購読料をもたらす「一般読者」にはそのような広告主に対する感覚は持てない。先述したような「勧誘員制度」により、景品の量だの勧誘員の押しの強さなどが「読者獲得」の主要な手段になる。その結果、一般読者がどう思ったりどのような結果になろうと、さほど気にならなくなってしまう。広告主に不興を買えば、一日で数百万・数千万単位の収入源になってしまうが、仮に読者が百人くらい減っても、大した事はない。(※なお、「経営委員」の大半が会社経営者によって構成され、歩合制報酬による集金人が「放送法で決められているから」などと脅して受信料を集めているNHKも、本質的には同じものだと考えていいだろう)。
 その結果、大広告主の一つである政府・自民党が「国家財政のために国民負担を増やす」などという政策を打ち出すと、社説などで「国民は改革のために痛みに耐えるべきだ」など書くわけだ。当然、自衛隊のイラク派兵などについても、「スポンサーの意向」に沿った報道をする。完全に全社横並びという事でなく、社によって報道のトーンは違うが、最終的には同じ結果になってしまう。

 よく、現在の報道を批判する人々は「マスコミはジャーナリズムとしての本分に立ち返れ」とか「社会の木鐸である事を忘れるな」みたいに言う。しかし、上記のような事実を考えると、そのような「要望」に応える事はありえない事がわかると思う。そのような事をしても、広告料収入が減る危険性があるだけで、部数が増えるなどという事はない。つまり、収益になんら貢献しない事なのだ。そのような事を企業として行えるわけがない。
 また、戦時中の「大本営発表」報道もこのように考えれば、あれが「異常体制下での特殊なもの」ではなく、「当時の企業としてすべき事をしただけ」だったという事がわかるだろう。
 逆に言えば、読み手である我々に必要なのは、「マスコミはこうあるべきだ」などと批判する事ではないのかもしれない。むしろ、「企業として当然の事をやっているだけだ」と認識し、こちらもそこに書かれている記事を読むときは、そのような事情を認識した上で解釈する事が重要だ。筆者も微力ながら、可能な限り、そのような視点での「報道の解釈」をしつづけていこうと考えている。


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