先日、新大久保駅ホームから線路に転落した人と、その人を救おうとした人の計3人が事故死するといういたましい事故が発生した。この事件は救おうとして亡くなった方の一人が韓国の方だった事がやけに大きな話題とされ、首相が弔問に行く事にまでなった。
逆に言えば、被害者の一人が韓国の方でなければ、この事件はそう大きく取り扱われなかった可能性が高い。しかし、この事件は果たしてそのような次元の問題なのだろうか。
新大久保駅には列車の緊急停止ボタンが存在していた。したがって、それを押していれば今回の悲劇は防げたわけだ。しかし、それを押すべく駅員はそのときホームにいなかったのだ。
いったいなぜその時ホームに駅員がいなかったのだろう。いくら夜遅いとはいえ、繁華街がある以上、飲みの帰りの客は少なくない。また、数日後に別の駅で発生した事件のように、妊婦や障害のある人などはどんなきっかけでホームから落ちるかわからないのである。
確率的には線路に人が落ちるというのは、そう頻繁にある事ではない。したがって、事故がなければそのホーム要員は仕事がないから削減しよう、という発想だったのだろう。しかし、何らかの事故で線路に落ち、そこに電車が入ってくれば、落ちた人は死んでしまうのである。それを承知の上で客の命を経費と天秤にかけた結果、ホームに駅員は存在しないことが決定され、今回の悲劇を引き起こしたのである。
そして、このような現状を作った原因の一つにマスコミの報道が少なからずある。かつてJRが国鉄だったころ、国鉄の赤字が問題となり、各マスコミもそれを批判するキャンペーンを行った。その中で人員削減もとりあげられた。中には徹夜勤務明けで風呂に入っていた職員を取り上げ「昼間から風呂に入れるほど暇な奴もいる」などと批判した報道もあったらしい。
それらが後押しとなり、国鉄の分割民営化が達成された。そしてマスコミの指摘通りに、「人員削減」を行った結果が今回の事故につながったのである。「国境を越えた勇気」などと空虚な言葉で死者を誉める記事を書くよりも、かつての自社の論説を調べ、それが遠因となって尊い命を失った事を反省する事がマスコミに求められているのではないだろうか。
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