独立国の首相と言うよりは…

 国会や党首討論などのTVで見る小泉首相は、たいてい断言的口調で絶叫している。「痛みをともなう改革」だの「骨太の方針」だのの欠陥をつかれようとその調子は変わらない。論理的に反論するわけでもなく、とにかくオーバーアクションと絶叫で自分の主張を繰り返すのみである。それをTVなどでは、首相を意識したカメラワーク・演出をするので、あたかも小泉首相が相手を論破しているように見える。
 ところが、先日欧米をまわった時の小泉首相の態度は全然違った。日米首脳会談の直前には沖縄で米兵による婦女暴行事件が発生した。しかし、その事件に対してブッシュ大統領に得意の絶叫とオーバーアクションで抗議する、などという事はなかった。
 そこで報道されたのは米国旗がデザインされた服を着てブッシュ大統領とにこやかにキャッチボールをする姿だった。
 さらに、決めた事といえば、京都議定書をアメリカの都合でつぶす方向に進めるとか、ミサイル防衛構想に賛成するなど、ひたすら先方の要求をのんだだけだった。
 さらに、沖縄の暴行事件についての国内向けのコメントは「ぎすぎすするな」であり、犯罪米兵に不逮捕特権に近いものを与えている地位協定についても「運用で対応していく」というだけだった。
 これら一連の言動を見ていると、米国には従順だが、国内の反対勢力には居丈高にふるまう、という首相像が見えてくる。
 もし、日本が米国の植民地ならば、小泉氏は極めて有能な現地人総督なのだろう。しかし、独立国の一国民として言わせてもらえば、このような主体性のない首相というのは、あらゆる意味で有害無益な存在でしかない。


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