為政者が靖国神社に参拝する意味

 首相就任当初より「8月15日に靖国神社へ参拝する」と小泉氏は明言していた。かつて日本の侵略行為の被害を受けた国々が批判しても「批判については参拝後に聞く」などと、露骨に無視する姿勢を見せていた。
 侵略戦争を肯定する教科書の問題も重なり、日韓関係に問題が生じたあたりで、やっと事の重大さに気づいた(?)与党各党の説得により、「15日の参拝」だけは回避したが、首相として敗戦記念日の前後に参拝したことには変わらなかった。
 靖国神社という名前は有名だし、どうやら戦争で死んだ人を祀っている、という事くらいは広く知られている。しかし、その本質についてはあまり知られていない。
 あまり知られていない本質のなかで重要な事は、靖国神社と他の神社(八幡神社とか浅間神社とか)では、「神社」でも根本的に違う、という事だ。たとえば、浅間神社ならば、富士山信仰が起点である。また、八幡神社は、応神天皇と神功皇后という、古墳時代の皇族を祀った神社である。したがって、歴史は相当古い。
 一方、靖国神社ができたのは、1869年である。元号でいうと明治2年である。で、何のために作ったかというと、江戸幕府との戦いで戦死した人々を祀るためであった。要は「彼らは正義の側について死んだのだから神様になった」という事を国民に知らしめるために作られたわけだ。そのため、同じ戦争でも江戸幕府側について死んだ人は祀られなかった。その後の内戦でも同様である。
 死者の霊をなぐさめるためなら、反政府軍の人だって一緒に祀ってあげてもかまわない。反政府軍の死者の中には、西郷隆盛のように、明治政府設立のために働いた人間だっていたのだから。それを祀らなかった理由は明白だ。この神社の目的は、死者の霊をなぐさめる事ではなく、「政府のために戦って死ねば神になれる」という事を当時の臣民たちに知らしめるためだったからだ。
 なお、太平洋戦争の際には、一般市民も多く死亡したわけだが、もちろん彼らは祀られていない。当時は教育勅語に基づいた教育により、一般市民のほとんども「天皇陛下のためにいつでも死ぬ」という思想は持っていた。そして実際に「天皇陛下のために」死んでいったわけだが、それでも祀ってもらえない。つまり、軍人となって殺人を指揮するか実際に殺人を行なうもしくは殺人を行う訓練を受けなければ、祀ってもらえないというわけである。
 実際に、靖国神社のサイトと他の神社のサイトを見比べてみれば、それは明白に出てくる。普通の神社のサイトはどこを見ても、「由来・行事・お守りの紹介」などがコンテンツとして出てくる。一方、靖国神社のサイトを開いて出てくるのは「『A級戦犯論』は『東京裁判論』だ」などといった右系の主張書籍そのままの「主張」である。また、コンテンツの中には「今月の遺書」などと言って、
祖国を愛しつつ戦歿された英霊の御心に触れていただきたいと、毎月社頭に御祭神の遺書・書簡等を掲示
 しているのだ。
 つまり、この神社の中では、1945年以前の思想がそのまま続いているわけだ。ちなみに使われている用語も「支那事変」「大東亜戦争」など、当時のものである。

 このような神社への参拝を首相が明言し、閣僚や都知事が敗戦記念日に公式参拝するわけである。「先の大戦で亡くなった人々に感謝の意」などと言うが、先述したように、空襲で死んだ人などは靖国神社には祀られていない。一方で、戦争を遂行した人物は祀られているわけである。
 このような事実から考えてみれば、なぜ彼らが靖国神社に参拝したがるかがよくわかる。つまりは、靖国神社の設立経緯そのまま、「政府のために戦って死ねば神になれる」という事を現在の国民たちに知らしめたいのだ。実際、小泉首相にいたっては「戦争で死んだ人への感謝の心がなくて、誰が国のために命を捧げるか」というような内容の発言をしている。
 ここ数年の自民党政府は、米軍との共同戦略をとるための「ガイドライン法」の成立を筆頭に、「いつでも米軍と組んで戦争できる体制」を築いてきた。財政が厳しいというのに軍事予算は減らされない。その一方でこのように靖国神社へこだわるという事は、思想的には大変判りやすい。
 しかし、一時のブーム時ほどではないとはいえ、マスコミはそのような流れを批判していない。これは、戦争遂行勢力の後継組織として誕生した自民党が先人の誤りを反省していないのと同じく、各マスコミも戦争遂行に協力した自らの誤りを根本的には反省していないからなのだろう。



ブログ「これでいいのか?」