流行語大賞2001

 2001年の新語・流行語大賞は小泉首相の一連の語録だった。自由国民社のサイトによると、「米百俵/聖域なき改革/恐れず怯まず捉われず/骨太の方針/ワイドショー内閣/改革の『痛み』 」など、だそうだ。
 このうち、「ワイドショー内閣」は本人の言葉ではないからちょっと違うが、後の語録はいずれも、「今は苦しいが、構造改革を行えば、いつかはよくなる。だから、国民には構造改革による『痛み』には絶えてもらって、何があっても改革を断行する」という首相の姿勢をあらわしている言葉だ。
 確かに失業率が増加し、相変わらず企業の破綻も続くなど、国民の「痛み」は公約通り増大している。そういう意味では確かに「改革の『痛み』 」は流行語大賞にふさわしいのかもしれない。
 しかし、他の言葉はいずれも流行はしたのかもしれないが、実効はない。まず「米百俵」だが、これは幕末の戦争で困窮した藩に届けられた百俵の米を、いまここで安易に使わず、教育に投資することによって、将来の糧とした、という故事によって生まれた言葉だ。
 しかし、小泉首相がそのような感覚で教育のために努力したという事は全くない。彼や小泉内閣の閣僚の行っている教育に関する政策は、自民党の伝統である「日本の戦争犯罪をうやむやにし、戦後の平和教育を否定し、学力による子供の選別を強化する」という方針をより鮮明に継承したものでしかない。少なくとも、最近増加している「親の失業による学校中退」に対しても、政府はなんら対策は示していない。つまり「米百俵の精神」は「我慢する」だけの事でしかなく、そこから先の本質は全く異なるのだ。
 また、「聖域無き構造改革」「恐れず怯まず捉われず」というが、「聖域」など至るところに存在する。道路公団の問題も、結局は高速道路を造り続ける事になった。他の公共事業も掛け声だけは勇ましかったが、何かに恐れたか怯えたかした結果、予定通りになってしまっている。
 「骨太の方針」は、どちらかと言うと小泉首相というよりも、立案した竹中経済企画庁長官の言葉、という印象が強い。ついでにいうと、言葉ばかりは勇ましいが、実際に日本経済がどのようによくなるかがどうしても見えてこない。「構造改革をやって不良債権を処理する」まではとりあえず理解できる。しかし、それによって、どう国民の生活がよくなるのかが見えてこない。確かに骨は太いのかもしれないが、その中身は骨粗しょう症でないかと疑いたくなってくる。

 なお、小泉首相は授賞式の席で「自分としては『感動した!』が一番気に入っている」と言ったそうだ。これは前の日の相撲で重症を負った貴乃花関が優勝決定戦で武蔵丸関に勝った後の表彰式で発せられた言葉だ。しかし、あの決定戦の相撲はどう見ても、武蔵丸関が全力で勝ちにいった相撲ではなかった。しかも、強行出場して首相を感動させた貴乃花関はその後4場所連続で休場中である。
 そのような背景で発せられた「感動した!」だから選者も外したのではないだろうか。それをわざわざケチをつけたところを見ると、一日だけ「痛みに耐えて」頑張り、その後休場を続ける貴乃花関を、「その後どうなるかも分からないのに、自分を支持して構造改革の痛みに耐えようとする国民」に重ね合わせて「感動して」いるのかもしれない。

 いずれにせよ、これほどまでに中身がなくかつ国民の負担だけが確定するようなものが、2001年を代表する言葉になってしまった。政治・経済において、いかに2001年がろくでもない年だったかの象徴といえるかもしれない。
 まあ、不幸中の幸いなのは、昨年の流行語大賞だった「おっはー」は半ば忘れ去られ、「IT革命」も「ITバブルの崩壊」というオチになってしまった。一昨年の「ブッチホン」は急な事件があったので検証しづらいが、3年前の「ハマの大魔神」はハマにいないし、「だっちゅーの」に至っては「あの人は今」状態である。「2001年の流行語大賞」もぜひとも同じ運命をたどってもらってほしい。来年の今ごろ「そう言えば、派手なことばかり言って何の役にも立たなかった首相がいたっけ」となっているような事になれば、日本の未来も少しは希望が持てるだろう。



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