真に「平和ボケ」しているのは

 現在、ニューヨークのテロへの報復戦争をアメリカが行おうとしている。多くのマスコミはそれに日本が協力するのは当然だ、という論調になっている。そして、戦争に反対する人々を「平和ボケ」などとののしる。
 この言葉の定義は難しいが、要は「平和な日常に慣れてしまい、『戦争協力』こそが唯一の選択肢であることを理解できない頭」というような意味のようだ。しかし、戦争に反対する、という事はそんなにノンビリした非現実的な考えなのだろうか。
 戦争に反対する理由は様々であるが、根源的には「人が死んだり傷ついたりするのはよくない」というものである。戦争になればテロを行ったとされる組織のみならず、攻撃対象となった地域の一般市民も多く死ぬだろう。
 さらに、攻めていった米軍兵士にも少なくない死者が出る。また、命は奪われずとも、一生残るような障害を蒙る人も出るだろう。ベトナム戦争の時の枯葉剤はいまだに深刻な障害を生み出しているし、湾岸戦争に従事した米兵の間にも「湾岸戦争症候群」という病気に苦しむ人がいまだに存在する。
 また、これは日本人にとって全くの他人事ではない。56年前に広島と長崎に落とされた原爆による後遺症を背負いながら生きている人は現在の日本にも存在する。
 以上のような事が生じるのがよくないからこそ、戦争に反対するのだ。何もボケていて、現実的な考えができきないわけではない。

 では、一方で戦争を推進するほうの論理はどうだろうか。基本的には「テロを行ったビンラディン氏およびタリバンは倒されねばならない」「傷ついた米国の威信は取り戻さねばならない」「このままでは世界の秩序は維持できない」「ここで叩かねばさらなるテロが発生する」といったところのように思われる。
 テロを行った組織は処罰されてしかるべきだが、闇雲に軍事力を行使すればいい、というものではない。実際、ビンラディン氏が関与したと噂される米大使館爆破事件に対する報告として、アメリカはスーダンなどにミサイルを撃ち込んだが、結果的には何の効果もなかった。
 今回、アフガニスタンにどのような攻撃を仕掛けるつもりなのか分からない。しかし、攻撃規模が大きくなればなるほど、アフガニスタンの一般市民およびアメリカの兵士が死ぬのは確かだ。そして、それにより今後世の中からテロが一掃される事もない。

 にもかかわらず、声高に開戦論を唱えている人々はどのくらい現実感を持っているのだろうか。戦争によってどのような結果が生じるか考えているのだろうか。少なくとも、政治家にしろマスコミにしろ、自分や自分の家族が前線で戦ったり、後方支援をしていて狙われたり、空襲を受けたりすることは絶対にない。他人事だからこそ、気楽に「血を流す協力が必要」などと言えるのでないか。
 筆者に言わせると、戦争を推進する勢力のほうが反対する勢力より「平和ボケ」している、と思う。「自分が安全な所にいる」という事が絶対的な前提条件であるからこそ、気楽に「戦争に加わろう」と言えるのだろう。



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