選挙を棄権する、ということ

初出・1998年7月。2000年6月追記


追記 為政者の本音(2000年6月23日)

 2年前、選挙を棄権する、という事が為政者にとってどのような効果をもたらすか、という主題で、以下のような文章を書いた。
 その後、大きな国政選挙は行われず、その間に自民党と公明党が連合を組み、景気のためのテコ入れという名目で財政は悪化し、景気も相変わらずである。
 そして久しぶりの総選挙となったが、マスコミも相変わらず、為政者のシナリオにあわせた「争点」を報道している。
 ただ一つ、前回と違う画期的な出来事があった。森首相の「寝ていてくれればいいが、そういうわけにもいかない」という発言である。
 棄権や無関心による投票率の低下を為政者がどのように認識しているかは、2年前にここで書いた。それを為政者が自らの口で明かしてくれた、という意味では素晴らしい発言と言えよう。この首相を喜ばせないためにも、一人でも多くの人に投票所に足を運んでもらいたいものである。

序章 選挙権とは(以下は1998年7月に書いたもの)

 最近、選挙の投票率は回を追うごとに下がりつづけている。国会が国権の最高機関であり、その国会に対して主権者である国民が権利を行使する最大の機会は選挙のはずである。つまり、主権を放棄している人が増えているのだ。
 ただ単に自分の主権者たる地位を放棄するだけなら、個人の問題、という事ですむ。しかし、棄権する事は他人にも迷惑を及ぼすのである。
 本稿では、なぜ棄権が個人のみの問題でないか、という事を中心に述べてみたい。  

第一章 投票率を下げるような報道

   まず最初に、なぜ人は選挙に行かなくなったか、という事について考えてみる。
 選挙期間中のマスコミの報道は、建前としては「不偏不党」のようだ。その結果(?)普通は各政党の発言を併記し、客観性のある報道をこころがけているようだ。
 で、「不偏不党」の報道をした結果どうなるか。普通の報道なら各政党の言うことを併記する。その政党の「公約違反の実績」は考慮しない。
 当然ながら、政権党はマスコミ用の「公約」では自分にとって不利なことははぐらかそうとする。そういうのもそのまま報道すれば、「争点がはっきりしない選挙戦」になってしまう。それにより、有権者は「どの政党も同じような事を言っている」と誤認してしまう。
 さらにマスコミは、批判的な報道も「公平」に行う。「結局どの政治家もダメ」的な報道である。そんなものを真に受ければ、「誰もダメなのだから投票しても意味がない」と思ってしまう人が出てくるのも無理はない。
 そしてとどめが投票後の報道だ。低投票率についてふれたあと、他人事みたいに「争点がはっきりしなかったのが原因」などとしらばっくれるのだ。争点のなかった選挙などない。ただ、争点が明確化されると都合の悪い勢力が、争点をごまかそうとし、マスコミがそれにあわせた報道をしてしまっただけなのである。ついでに言えば、仮に本当に争点がなくたって、選挙に行かないでいい、などという事はない。

 選挙報道でマスコミがすべき事は、「今、何を言っているか」よりむしろ「これまで何をしてきたか」だろう。特に前回の選挙から今までの間に「公約した事をどれだけ実現したか」「倫理面で問題はなかったか」などを整理して報道すればいいのだ。各政党・候補者の主張などは、選挙公報にまかせておけばいい。マスコミの使命は「事実」を報道する事だ。そして選挙における明確な「事実」は「今何を言っているか」ではない。「今まで何をやってきた上で何を言っているのか」なのだ。

第二章 棄権が政治家に与える影響

   上記のような報道姿勢などもあり、「誰に投票しても同じ」・「投票できる人がいない」などと考え、棄権する人が増えてしまったようだ。
 確かに、与党自民党を筆頭に、政治家の行いには問題点が多々ある。しかし、これは棄権を正当化できる理由になり得ない。むしろ、棄権には政治家の問題行動を助長する効果があるのだ。
 選挙の前に、各政党・候補者はまず支持者を固める。そして、その確定した票数を「基礎票」とし、それに確実な支持者でない一般の人々の票(浮動票)を取り込んで当選を目指す。
 もし悪政やスキャンダルで、政党・候補者の評価が落ちれば、浮動票が他の政党・候補者に流れる。そうなると当選できなくなるから、各政党・候補者は「浮動票」と呼ばれる層の人たちにに嫌われないような政治を行う。
 投票率が慢性的に低下する、という事は「浮動票」と呼ばれる人々が投票しなくなる、という事である。これは、政治家にとっては「浮動票」が対立政党・候補に流れる可能性が低くなる、という事を意味する。
 そうなると政治家は、かつて「浮動票」と呼ばれた人々−現在は棄権してしまう人びと−の事を気にしないで政治が行えるようになる。
 いくら税金を上げようが、福祉を後退させようが、怒りの意思表示を「棄権」という形でしてくれるなら、議席獲得には何ら悪影響はない。その結果「政治不信」になってくれて、ずっと棄権しつづけてくれるなら、彼らは政治家にとっては固定票につぐ「計算できる票」になるのだ。今のような政治で棄権が増えるなら、与党勢力はより一層、棄権が増えるような政治を行うだろう。

第三章 棄権=白紙委任

  結局、棄権する事は、政治家がより好き放題な事をする事にお墨付きを与えることでしかないのだ。与党に投票する事は「現在の政治を承認する事」の意思表示になり、野党に投票する事は「現在の政治を承認しない事」の意思表示になる。それに対し、棄権する事は「今後も、政治家が何をやろうとお任せします」という意思表示になるのだ。
  その結果推進される政治のもとで、棄権者のみが被害にあうならまだいい。しかし、政治の結果はすべての国民に影響を与える。その結果、棄権しなかった人までが棄権した人の「白紙委任」に迷惑をこうむってしまうのだ。
 そういうわけで、どこに投票をしてもいいから、棄権だけは絶対にしないでいただきたい。

 



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