「改革」の成果としての「格差」

2006/02/05

 先週あたりから、小泉首相が「格差」の存在を認める発言を始めている。といっても、自らの「改革」が加速した格差拡大という歪みを反省したわけではない。いわゆる「勝ち組」が成功している事を当然視し、そこで生じた格差について、「それをねたむほうが悪い」と言ってみたり、「待ち組」なる造語を行い、悪いのは「待ち組」だなど、批判をしている。
 小泉首相の発言といえば、「国鉄が民営化して線路がなくなりましたか?」などと言った事実誤認極まりないものや、「平和を願っている」などと言いながら靖国神社に参拝しつつイラク人虐殺に協力すべく自衛隊派兵を行うなど整合性に欠けるものが多々ある。しかしながら、今回の発言は、珍しく首尾一貫してはいる。
 まず「ねたむのが悪い」だが、これは要は努力して金持ちになった「勝ち組」が正しいんだ、「負け犬」は黙っていろ、という意味だ。
 確かに「勝ち組」は努力をしている。すなわち、財界が政治献金をし、自民党政府に、税制・労働法など、さまざまな意味でその献金に報う政策を行わせる、という努力だ。その結果、多くの大企業が空前の収益を挙げる中、生活保護世帯が増えて国民の貯蓄率が減るという「格差」がより一層際立った。
 つまり、自民党に金を積んでくれたから、それに見返りを「勝ち組」に与えているんだ。悔しければ「負け組」の連中も同じ事をやってみろ、という事を首相たちは言いたいわけなのだ。

 もう一つの「待ち組」だが、これについて述べた読売新聞の記事によると、「フリーター」や「ニート」を意味しているらしい(※別の解釈もできるが、それについては後述)。
 自民党政府やその意を受けたマスコミの常套手段に「自民党政府の政策の被害者に『標的』を与えて、怒りをそちらに向けさせる」というのがある(詳細は別項・現代に生きる「分断支配」の構図に記載)。昨年はその標的として「公務員」が多用され、その「宣伝効果」が衆院選での自民党大勝にも貢献した。それに続く「標的」として「待ち組」を提示したのだろう。「負け組」の不満をそちらにそらせようという、安易ながら実効性のある方策だ。
 しかし、この「待ち組」を意味していると思われるフリーターにしろニートにしろ、勝手に誕生・増加したものではない。1990年代の不況期において、リストラと称して首切りが行われた。それは、企業が労働者を減らし、その分を既存の労働者に押し付けたという、人為的な行為によるものだ。その結果、人件費として支払っていた分が利益になった。これを企業側の言葉では「過剰雇用の是正」といい、それが「景気回復」の要因となったと絶賛している。そしてそれによって正社員として働く事ができる人数が減った事が、フリーターさらにはニートを生んだのだ。
 このリストラという名の人件費削減はさらなる展開を見せている。同じ仕事でも、正社員にやらせるより、アルバイトや派遣・請負などの不安定雇用の労働者にやらせたほうがさらに収益が上がる事に企業は気づいた。単位あたりの賃金が抑えられるのはもちろん、ちょっとした都合ですぐ解雇ができるのだ。なお、本論とはややずれるが、この潮流が生じた理由として「仕事の質より儲け」という考え方も挙げられるだろう。
 特に、「小泉改革」により、この流れは加速された。「改革」の初期に「儲からない業種・企業(いわゆる『負け組』)には退場してもらい、代わりに儲かる業種・企業を育成する。あわせて「負け組」の労働者がそちらに移る事により、労働力を効率的に配分できる」みたいな主張が行われていた。確かに、その「成果」として、2005年あたりから、大都市に限れば、有効求人倍率が1.0を越えるようになった。日本全体の平均値でも、2005年末に約13年ぶりに、有効求人倍率はほぼ1.0に戻った。
 こう書くと、「なんだ、改革の痛みに耐えた後に成果が出る、というのは本当だったのか」と思う人もいるかもしれない。ところが、その有効求人倍率の数値をよく見ると、この「改革の成果」の意味がよくわかる。この有効求人倍率の中身を、正社員とそうでない雇用を分けて考えるとパートが1.41倍と1倍を大きく超えているのに対し、正社員は0.65倍にとどまるとなるのだ。
 つまり、ここ10年以上、正社員という、安定した収入・生活ができる人々は減りつづけた。そして現在でも正社員になれるのは、3人に2人くらいしかいない。その分を不定期雇用で補っているわけだ。これを成り立たせるには「フリーター」に代表される正社員でない労働者の存在が必須である。つまり、企業がそのような存在を求めているわけだ。それを、自民党政府が、派遣労働の範疇を広げたり、違法な請負労働を半ば黙認するなど、政治において後押ししているわけだ。こうやって考えてみると、改めて「小泉改革」と「格差」に密接な関連性がある事がよく分かる。
 そして、自分たちで「フリーター」や「ニート」を増やすような事をしておいて、被害者である彼らの存在が「格差問題の根源」であるようにして「標的」にしようとしているわけだ。

 なお、最初に書いたように、本論は、小泉首相らが「待ち組=フリーター・ニート」と認識して発言している、という前提のもとで書いてきた。ただ、実はこれについて述べた読売新聞の記事がそう定義しているものの、該当記事では小泉首相や猪口少子化対策相はその定義を明言はしていない。
 初出となった小泉首相メールマガジンでは、それらの「組」の定義がなされていない。しかし、文章からは「負け組」というのを、「事業を起こしたが失敗した人」と定義しているように推定できる。さしずめ、半年前に自民党の応援の元で選挙を戦ったライブドアの前社長氏などが該当するのだろうか。そうなると会社員を初めとする被雇用者は、雇用形態が正社員だろうとアルバイトだろうと、その収入がいくら低くても「負け組」にはならない事になる。となると「待ち組」とはいったい誰の事を意味しているのだろうか。そう思って今の日本で「人が待っている事」を考えてみた。
 現在の日本において「待たれている事」として思いつくのが「小泉改革がより一層進行し、その結果として暮らしよい社会になる」という事だ。もしかしたら、「待ち組」とは、その「改革」の成果を信じて待っている人々の事を意味しているのだろうか。
 確かにそういう人々が「小泉改革」を支持して自民党に投票した事が、現在の「『改革』の進捗→格差拡大」に結びついているわけだ。確かにそれなら、「(格差拡大において)本当に反省すべきは『待ち組』だ」という主張にも一貫性も出てくるのだが・・・。

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