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15年戦争の「勝ち組」「負け組」

 1945年まで行われた戦争において、日本は負けたという事は一般常識と言っても差し支えないでしょう。実際、広島・長崎の原爆をはじめ、多くの都市が焼き払われ、その結果、多くの一般市民が殺されました。そして、徴兵された人々は海を渡った先で殺人をはじめとする残虐行為を強制された上、相手の反撃や食糧難・疫病などでこれまた多くの人々が死んでいきました。
 このように、大多数の国民にとって、あの戦争は手痛い被害を受けた「負け戦」でした。今風に言えば、「負け組」となってしまったわけです。しかし、これは全ての日本人にとってそうだったのでしょうか。

 たとえば、軍需工場を経営していた企業などで考えてみます。国という「お得意先」から大量の受注があった上に、学徒動員だの強制連行だので安い労働力を得る事ができました。もちろん、空襲による生産設備破壊という負の要因ももありました。しかし、最終的な損得がどうだったのでしょうか。資料がみつからなかったので分からないのですが、興味深いところです。
 また、敗戦後は財閥解体などという処置も行われました。しかし、「財閥」という建前こそなくなりましたが、旧財閥を軸にした企業グループはそのまま残りました。そして敗戦後5年もたたないうちに、朝鮮戦争による「特需」が生じ、戦争によって大儲けする事により、日本財界は再び強大化していったわけです。
 なお、「業種」は違いますが、戦時中に国民には耐乏と犠牲を強いて、虚偽の情報を唯唯諾々として流すなど、天皇制政府に全面に服従し、「戦争責任」の一端を担ったにもかかわらず、戦前と同じ形で残って発展していった、新聞社などの「情報産業」にも同様の疑問を感じます。
 一方、戦争を遂行していた政治家はどうだったのでしょうか。確かに、一部はA級戦犯として処刑されたり、敗戦を前に自殺した人もいました。しかし、生き残った人々は、いち早く占領軍であるアメリカに忠誠を誓うことにより、支配層にとどまる事ができました。「A級戦犯として投獄」や「公職追放」などの処分を一時的に受けた人の中からも首相は誕生しています。そして、その政治家の血脈は、現在の自民党や民主党に受け継がれています。
 こうやって考えてみると、かつての天皇に代わってアメリカが絶対的存在になっただけで、総合的に見れば政財界にとっては戦争を通して本質的な打撃はこうむらなかったのでは、とも思えてきます。

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