政府発表や商業新聞を読んでいる限り、現在の日本は景気が回復しており、今後も「回復基調」は続くとなっている。先日も竹中経済財政・郵政民営化担当相が堅調な景気回復を持続させ地域に浸透させたいと、改めて景気回復が順調に言っている旨の発言をした。
しかし、生活を示す指標は相変わらず暗いものが多い。たとえば、民間の給与は6年連続で減少している。さらに、「ただ働き」の強制である「サービス残業」も年々増加の一途をたどっている。つまり、労働者は貰うものは減っているが仕事時間は増えている、という状況が相変わらず続いているわけだ。
一方、失業率は改善されていると言われている。確かに、完全失業者数も失業率もわずかながら減少している。しかし、この失業率の「分子」は「仕事についていない人」ではなく、「求職活動をしている失業者」となっている。一方、求職活動をしていない(できない)人の増加が問題になっている。これをあわせると、本当に雇用状況が改善されているかも疑問だ。
これらの情報を見る限り、相変わらず生活するには厳しい状況が続いている。その一方で自民党政府やマスコミが「景気回復」を宣伝している。いったい、なぜこのような事が生じるのだろうか。
そのあたりを調べていたら、みずほ総研のサイトに面白い記事があった(PDFファイル)
ここでは、現在の「景気回復」は労働条件の切り下げと、財政赤字の拡大によってもたらされたとしている。その二つが企業の収益を押し上げる効果をもたらして、「景気回復」が成し遂げられたというのだ。
分かりやすく言えば、労働者をよりこき使う事によって、企業が収益を向上させて「景気回復」を成し遂げた、という事になる。なるほど、これなら最初に書いた「景気回復が騒がれているのに給料も上がらなければ労働条件もよくなっていない」は矛盾にならない。
ついでに言うと、「財政赤字の拡大」も同様だ。赤字国債を発行して増やされた国の借金を負担するのは結局のところ国民だ。実際、財政赤字の問題について語った財務相の「対策」は福祉の削減と消費税・所得税の増税だった。
つまり、サラリーマン層に代表される一般の労働者の現在と未来から金を奪い、その金を企業の収益による事で、現在進んでいる「景気回復」は成り立っているという事になる。これでは、いくら「景気回復」が進んだところで、多くの人の生活は、悪くなる事はあっても良くなる事はなさそうだ。
上記のみずほ総研のレポートでは、「景気回復が進めば雇用も財政赤字も改善される」となっている。果たして、本当にそうなのだろうか。企業はこのような「労働条件切り下げ」で成功した以上、今後の「堅調な景気回復を持続」のためにも、より一層、収益率の上がるような労働条件を構築するだろう。なにせ、それと逆の事をやれば、景気の下降につながってしまうのだから。財政赤字および「その対策」についても同様だろう。
実際、筆者の知人の話を聞いたり、行きつけの日記サイトなどを見ても、「仕事が忙しくなった」や「ボーナスも予想より・・・」などというのはよくあるが、「好景気のおかげで・・・」などという話を聞いたり文章を見た事はあまりない。
我々は物心がついた時から、「好景気=生活の向上」という事を常識として認識してきた。しかし、どうやらそれはすでに「前世紀の遺物」になってしまったようだ。
金鉱にたとえれば、かつての日本経済は、金を掘ることによって経営者の金が増え、その分け前として労働者の金も増えていた、という状態だったと言える。それに対し、現在の日本経済は、産出量が減ったら、経営者は労働者の持っていた金を奪って生産高を維持するようになった、といったところだろうか。
いずれにせよ、自民党政府や財界・マスコミの言う「景気回復」は、多くの人の生活にとって関係のないものになっているのは確かなようだ。言い換えれば、一般市民の求めている生活の改善につながる経済政策は、現在の政治・経済体制では実現は難しい、という事なのだろう。