核抑止論者の青年と対話

 先日、革新懇の宣伝を駅頭で行いました。あわせて、ヒバクシャ国際署名のお願いをしました。
 参加者が交互にマイクを持って、平和・政治・経済・福祉・税金の問題などを訴えました。
 自分は中小業者の話をする予定でした。ところが、マイクを持つと、そこにサングラスをかけた青年が現れました。そして、挑発的な態度で「憲法九条…」と言い始めようとしました。
 もちろん、その人の相手をしては、演説ができません。そこで、青年には「あとで話しましょう」と断った上で、予定を変更して、リクエスト(?)の憲法九条の話をすることにしました。

 憲法九条に否定的な立場を取る人がよく使う言葉に「敵が攻めてきた時に、平和憲法など何の役にも立たない」というものがあります。
 しかし、地球上のどこにも、「敵が攻めてきた時に防御力のある憲法」などありません。
 それは、日本の例を見れば分かります。1890年に施行された大日本帝国憲法は、軍隊に関する規定が詳細に書かれていました。それに基づき、日本は軍事力を行使し、アジアをはじめ、様々な所で戦争を行いました。
 その結果、「敵が攻めて」きたわけです。沖縄では地上戦が行われ、全土が空襲で焼き払われ、広島と長崎には核兵器が落とされました。
 つまり、「交戦権を認めていた大日本帝国憲法は、敵が攻めてきた時に何の役にもた立たなかった」というのが現実です。そうして、大日本帝国憲法は施行後55年で廃止されました。
 一方、その反省を土台に作られた日本国憲法はどうでしょうか。施行されて今年で70年目になりますが、敵が攻めてくる事はありませんでした。
 「敵が攻めてきたら」ではなく、こちらが「戦力」を放棄する事により「敵に攻めてこさせなくする」、それが平和憲法というものです、という話しました。

 青年は、その話をずっと聞いていました。その後、約束通り、お話をしました。
 核兵器については、「北朝鮮が本当に核ミサイルを飛ばすはずはない。なぜならば、そんな事をすれば、アメリカを始めとする世界各国から核攻撃を受けて滅びるから」と言っていました。
 北朝鮮の脅威をひたすら煽る一部マスコミなどよりもずっと冷静です。ただ、冒頭の発言と合わせれば「だから憲法九条ではダメだ。抑止力がなくては守れない」というのが結論なわけです。これには反論させてもらいました。
 そこで、以下のように話をしました。

 核に「抑止力」があると言いますが、抑止力によって実際に使われる危険性がなくなるわけではありません。
 実際、今でも北朝鮮の核が飛んでくる危険性はゼロではないのです。これは、「抑止力」の限界を表しています。
 つまり、核兵器が存在している以上、使われて、何十万人もの人が虐殺される危険性はなくならないのです。
 その危険性をなくすには、国際社会で話し合いを重ねて、核兵器をなくすよりありません。
 実際、既に生物兵器は違法化されています。化学兵器も、シリアの疑惑などはありますが、これも違法化され、所持や使用が国際的に禁止されています。
 ならば、核兵器も同じように違法化することも可能なのではないでしょうか。実際に国連でそのような話し合いがおこなわれています。
 こうやって話し合いを重ねるのが、平和を実現させるための最善の道だと思っています。

 聞き終えると、青年は、サングラスを外し、自分の目をまっすぐ見ました。
 そして、「話につきあってくれてありがとうございました。もしよければ、名刺をもらえませんでしょうか」と言いました。
 名刺を渡すと、「共産党…!」とちょっと驚いていました。彼の持っていた「共産党」の印象が変わったのかもしれません。
 そこで別れましたが、とりあえず、その青年にとって、有意義な時間であったようで、嬉しく思いました。

 そして、この対話をしてから数日後、国連で核兵器禁止条約が締結されました。
 青年は、このニュースを知ったでしょうか。機会があったら、ぜひその話をしてみたいと思っています。