政治業者の利益集団

4.「民営化」に隠された真意

2003/12/31

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 選挙の頃からさんざん話題になった「道路公団問題」は「民営化」という事で決着がついた。一見、「民営化」という言葉から、これで「政治業者の利権のネタとして無意味に建設された高速道路が、『民間』のものになる」というような印象を持ってしまう。しかし、実際のところ、これまでの国鉄などと同様に、この「民営化」という言葉はかなりの曲者だ。ここでは、国鉄の「民営化」の顛末をもとに、道路公団「民営化」の行く末を予想してみたい。

 まず、一番誤解されやすいのは、「民」という言葉である。ややもすると、「国民・市民」の「民」という印象を持ってしまい「我々一般国民のものになる」と勘違いしがちである。しかし、ここでの「民」は「民間企業」という意味である。確かに国有・国営ではないのだから、「民間」にはなる。しかし、実際のところは、株式会社であるのだから、「株主」という私企業・私人が所有権を持つ。したがって実際は「私有化」なのだ。(※なお、「民営化」当初は、株式は国が保有している。それをだんだんと売却して「完全私有化」を目指す形になる)
 「私企業」である以上、利益追及が第一となるのは基本である。そのため、JRは駅員を減らし、その代償として、ホームの転落事故が増えた。しかしながら、駅員を増やすという流れには一切ならない。転落事故による損失額が人件費を下回る限りは、現状のほうが儲かるからだ。しかしながら、「私企業」である以上、そのような形で上げた収益は、なかなか国民には還元されない。
 とはいえ、このような「民営化」された企業は、普通の私企業とは違うところがある。それは、かつての利権が継続するというところだ。国鉄の時もそうだったが、道路公団の「民営化」が発表されたとき、多くの人は「これで、政治家の利権によって、儲かりもしない路線を造る事はなくなるだろう」と思ったはずだ。しかし、JRになっても山形・秋田・長野・八戸に新幹線が伸ばされ、さらに今度は八代−鹿児島間に新幹線が開業する事になった。
 これが私企業であるJRが採算性を分析した上で、普通の企業のように社としての借金もしくは自己資本で行うぶんには、個人的には問題はない(もっとも、新幹線開業により、並行する在来線が売却・廃止された沿線の人にとってはえらい迷惑だろうが)。ところが、これらの「整備新幹線」は国・地方公共団体・JRがそれぞれ負担して建設されるのだ(参考サイト・国土交通省)。要は税金がつぎ込まれるわけである。
 そのため、北陸を地盤とした議員が首相となったら、それまで在来線を改造する方式で作られる予定だった北陸新幹線が専用線を造る方式に変更されたりするのだ。つまり、「民営化」されても、利権構造はそのままなのである。これは道路公団にもあてはまる。「民営化」されても、これまで予定されていた道路建設は続けられる事だけは早々に決まった。
 結局、「民営化」などと言ったところで、政治業者の利権につながる部分は堅持されるのだ。逆に言えば、自民党の政治業者たちが、自らの重要な「財源」である「建設利権」を手放すような「改革」を容認するわけがないのだ。

 このように、「民営化」などと言っても、我々のような一般市「民」とは、一つの例外を除き、基本的には関係ない話なのだ。その「例外」とは「これまでの赤字」である。
 「国鉄改革」の際、これまでの累積赤字(先述したように、その中身は政治業者の利権のために造らされた新線建設費とそのための借金の利子である)の37.5兆円のうち約3割は本州のJRなどの負担にし、残る約7割にあたる25.5兆円は、「国鉄清算事業団」なる組織に移管された(参考サイト・日本総合研究所)。これらの赤字のうち、11.5兆円は、汐留などの貨物駅など不要になった土地の売却で解消し、残り14兆円は国民負担になるとされていた。しかし、実際にはバブル崩壊などで土地は売れず、結局「国民負担」は24兆円となっている。
 赤字の多くは政治業者の利権活動によって生じた事を考えると、もともとの「14兆円国民負担」すらかなりふざけた話だが、それがさらに10兆円も増えているのだ。あまりにもケタが凄すぎて、正直筆者も実感できないのだが、とりあえず、国民一人に割ると18万円である。
 「赤字だから分割民営化」などと言っていた結果が、15年たった今でも24兆円の赤字が残っているわけだ。道路公団の赤字もこのような「処理」をすると考えるのが自然だろう。
 結局、「民」に来るのは「赤字」だけなのだ。さらに、赤字をよそに押し付けたのをいい事に、税金を使ってさらなる新線を建設し、政治業者は利益を上げる。そのような事をしながら、「民営化」という言葉の持つ印象の良さを利用して「改革派」と称して印象を上げるのだから、赤字を押し付けられる国民にとっては、たまったものではない。
 
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ブログ「これでいいのか?」