不戦憲法では国は守れない?

 日本国憲法を批判する言説の中でよくあるのが、「交戦権を否定した憲法9条では国が守れない」というのがあります。「敵が攻めてきた時、憲法を掲げて相手は攻撃を止めてくれるのか」などと主張する人も多々います。
 このような「改憲論」は筆者が10代の頃からよく聞きました。しかしながら、筆者がその説を聞いてから30年近く経ちますが、いまだに日本は他国の侵略を受けていません。
 一方、他の国はどうでしょうか。
 日本のように交戦権を否定する国は、世界の中でも少数派です。米中英仏露をはじめ、主要国は強大な軍隊、場合によっては核兵器を保有しています。当然ながら、憲法では軍事力行使を規定しています。

 しかし、これらの軍事力は、国民の安全を守るためにどれだけ役に立ったのでしょうか。
 お隣の韓国はベトナム戦争で派兵しました。そして今でも徴兵制をしいています。
 しかし、それが国の安全に役立ったのでしょうか。ベトナムでは多数の死者を出しました。一方で、北朝鮮からは多数の拉致被害者を出しました。
 日本からの拉致被害者の数は17人というのが公式見解ですが、韓国の拉致被害者(朝鮮戦争時を除く)は3,835人とのことです。

 世界最強の軍事国家であるアメリカおよび、それに次ぐ大国かつ核兵器保有国であるイギリスやフランスはどうでしょうか。
 確かに、20世紀までは、これらの国々は軍事力を背景に他国を侵略・征服・攻撃していました。
 しかし、現在、そのしっぺ返しを受けています。2001年にはニューヨークで大規模テロ事件が発生しました。
 それ以降、「報復」と称して戦争や空爆を行ないました。しかし、それは新たな報復テロを生むだけで、国民の安全には何の役にも立っていません。
 ロンドンでもイラク戦争の報復テロがありました。最近ではパリ、さらにはNATOの本部があるブリュッセルでもテロが発生し、多くの民間人が死亡しています。
 なお、現在、世界最大のテロ集団となっているISは、アメリカがおこなったイラク戦争の被害がきっかけでできた団体です。
 テロが起きるたびにこれらの軍事大国は「報復」と称して、ISなどへの空爆を行いました。しかし、その行為に「抑止力」など存在しません。あるのは、さらなるテロを招く「暴力の連鎖」だけです。
 これを見れば、21世紀の現在において、もはや軍事力は抑止力ではなくなった、というのが現実です。

 なお、10数年前には、その軍事力によって滅亡した政権もあります。
 フセイン大統領(当時)が独裁的な権力を得ていたイラクは、軍事国家でした。かつてはアメリカの援助を受けて、隣国イランと長期間の戦争を行いました。
 そこで強大化した軍隊を活用して、隣国クウェートを侵略した事もありました。
 しかし、そのような軍事行動により、アメリカに「ならず者国家」と認定されました。
 最後には、「大量破壊兵器を保持している」と決めつけられて攻撃されました。イラク軍も反撃しましたが敗れ、フセイン大統領をはじめ、多くのイラク国民は殺されてしまいました。
 強大な軍事力がなければ、このような「大量破壊兵器疑惑」は起き得なかったでしょう。

 これは日本にも当てはまります。1890年に施行されたこの憲法は、「平和憲法」とは真逆の存在でした。
 その憲法のもと、日本は東アジア最大の軍事国家となり、周囲の国を植民地として栄えます。
 しかし、戦争を続けてきた結果、最後は、アメリカ・イギリス・中国・オランダを中心とした連合軍に敗れ去りました。
 最後には、東京は焼け野原となり、広島・長崎には原爆が落とされました。
 強大な軍事力は、国民を守るのに何の役にも立たなかったのです。
 こうして日本が焦土となったのは、大日本帝国憲法が施行されてから55年後の事でした。

 その後にできた日本国憲法には、交戦権を否定するという「戦争放棄」が盛り込まれました。
 誤解している人も少なくありませんが、この戦争放棄はアメリカに押し付けられたものではありません。日本人が発案したものです。
 アメリカにより、安保条約を結ばれたり、自衛隊を作らされた事もあり、この9条の理念が完全に実施されているとは言えません。
 しかし、日本は、この戦争放棄の憲法をたてに、これまで、アメリカなどと連合軍になって戦争に加わらずにすみました。
 そして、施行されてからの69年間、戦死者は一人も出していません。同様に、日本は戦争で他国の人を一人も殺していません。

 冒頭に書いた「敵が攻めてきたらどうするのだ」の答えが「いくら軍事力があっても、より強い敵の攻撃やテロの前には役に立たない。むしろ国民に危険を呼びこむだけ」である事は、歴史が証明しています。
 そして、敵が攻めてこないために平和憲法があり、その効力はこの69年間で実証済みなのです。
 自公政権の軍拡の動きが進むなか、改めてその事を考えた、69年めの憲法記念日でした。