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「集団的自衛権」がもたらすもの

 安倍内閣が、これまでの政権が行っていた憲法解釈を変え、「集団的自衛権の行使は可能」という閣議決定をしました。
 この事自体、立憲政治を行っている現代民主国家としてありえない事です。
 ただ、この立憲主義に関する問題は次回にまわし、ここでは「集団的自衛権」についてのみ書きます。

 この「集団的自衛権」というのは、極めて誤解を与える言葉です。普通にこの言葉を読めば、「集団で自国民を衛る権利」と、ほとんどの人が解釈するでしょう。
 しかし、実際は、それと全く異なります。
 これは、過去に行使された主な集団的自衛権の一覧を見れば、一目瞭然です。
 この地図を見ると、自国の隣国で行使された例は、1980年代に当時のソ連が行った、アフガニスタン侵攻のみです。(※地図の画像は、谷岡隆習志野市議のブログに掲載されているものにリンクさせていただきました)
 特にアメリカなどは、北米大陸ではゼロで、中南米で一件、後の三件は全てユーラシア大陸で集団的自衛権を行使しています。
 そして、そこで行われたのは、アメリカにせよ旧ソ連にせよ、その地域での自国の権益を守ろうとしただけの事です。
 その結果、多くの一般国民が兵士として戦場に送られました。多くの人が死に、生き残った人でも、一生残る障害を、肉体や精神に受けた人が多数発生しました。
 10年前にアメリカが集団的自衛権の名のもとに行ったイラク戦争において、多くの戦死者を出したのに加え、元兵士が帰還後に自殺したり、家族を撃ち殺したりした、というのは記憶に新しいところです。

 もちろん、被害を受けたのは自国の兵士だけではありません。集団的自衛権が行使された国の人々は、より多くが、より残虐に殺されました。
 ベトナム戦争において、ソンミ村の虐殺事件や、枯葉剤散布による奇形児の多発や自然破壊が起きた事は、日本でも知られているところです。
 この戦争にアメリカが参戦した理由も、集団的自衛権でした。
 当然の事ですが、村人を虐殺したり、枯葉剤を撒いたために、ベトナム人のニューヨーク侵攻が阻止できて、アメリカの一般市民に命を守れた、などという事はありません。
 これは、旧ソ連がハンガリーやチェコに侵攻した事例も同様です。

 つまり、集団的自衛権は、侵略戦争を正当化するために「自衛」の名を冠したものに過ぎないのです。
 堂々と侵略と銘打てないから、侵攻先に自国の傀儡的政権を作り出し、その「仲間」が危機だから、彼らの「自衛」を集団的に手伝う、という口実を作っているだけのことです。
 安倍内閣は、このアメリカや旧ソ連などが行使した、集団的自衛権を行って、他国で自衛隊に戦争をさせる、という閣議決定をしました。
 集団的自衛権の行使が実現すれば、兵器産業は大喜びをするでしょう。また、首相を始めとする権力者たちも満足できる事でしょう。
 そして、その代償を受けるのは、自衛隊員をはじめとする日本の一般国民ならびに、現地の住民です。
 なお、その際、兵士になる・ならないは関係がありません。集団的自衛権を行使された、被侵略国の中には、日本国内のテロで対抗する勢力も存在します。
 実際、10年前の戦争では、イギリスやスペインなどでも大規模なテロが発生しました。
 繰り返しになりますが、集団的自衛権は、「自らの国民を衛る」権利ではありません。むしろその逆で、他国民を殺し、その反動として、自国民の命と安全をもおびやかす「権利」でしかないのです。

憲法九条で核攻撃は防げない?

 憲法九条を変えようとする勢力がよく主張する言説に「では、実際に核ミサイルが飛んできたら憲法九条で日本は守れるのか?」というものがあります。
 連日のように報道される「北朝鮮の脅威」だの「中国軍機が尖閣付近を移動」などを見て恐怖感を植え付けられている人などは特に、このような主張はもっともだと思ってしまうかもしれません。
 しかしながら、実はこの言説には根本的な誤りがあります。なぜならば、他国と交戦できる軍事力があっても、核攻撃を止めることなどできないからです。これは歴史的事実によって証明されています。

 人類史上、実際に行われた核攻撃は、1945年8月の広島と長崎です。つまり、「核兵器が日本に飛んできて爆発し、多くの人々を虐殺した」わけです。
 しかしながら、当時の日本には不戦憲法などありません。もちろん、戦力も保持していました。
 しかも、単なる「戦力保持」などというレベルではありません。若い男性は学生も含め、ことごとく兵隊に取られました。さらに、一般庶民の調理器具まで軍需品として供出させられていました。核攻撃をされた、1945年の国家予算に対する軍事費の比率は72.6%です。
 それだけ軍事に力を入れながら、二回の核攻撃を防げなかったわけです。
 つまり、戦争できる憲法と強大な軍隊を持ったところで、国民を核攻撃から守るのに何ら役に立たない、という事は、歴史が証明済みなわけです。

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「死刑」「懲役300年」を嬉々として幹部が語る党

 自民党の石破幹事長の「憲法改正」発言が話題になっています。(動画
 上記リンク先の2分40秒あたりから、件の発言を聞くことができます。要約すれば、「現在の自衛隊員は、命令を拒否することができる。そこで、命令を拒否すれば死刑・無期懲役・懲役300年など、その国の最高刑を適用したい。そうすれば、『そんな目に遭うくらいなら』と出動命令に従うだろう」という感じです。
 このくだりを、石破氏は、身振り手振りを交え、力をこめて語っていました。よほど、このような制度を作りたいのでしょう。
 その顔やしぐさを見ながら、68年前、もはや勝敗の帰趨は決定的であったにも関わらず、「特攻隊」だの「人間魚雷」などを考えだし、若い人たちを犬死させた人々も、おそらくは、この映像の石破氏のような、表情・身振りで、自ら立案した作戦を説明したのかも、などとも思いました。

 権力者というのは、他人を従わせる事に喜びを覚えるという性癖があるように思えます。
 かつて自分も何度か「ワンマン指向の経営者」の下で何度か働いた事がありました。彼らの共通点は、自分が決めた事を強権的に社員に実行させる事および、意に沿わない社員は人事権を使って飛ばしたり、退職に追い込んだりしました。
 この石破氏の発言からも、それに通じるものを感じました。
 実際、自民党が作った「改憲案」を見ても、このような考え方が随所に出ています。
 ついでに言うと、今回、自民党から立候補している「ミスターブラック企業」の渡邉美樹氏も、自分の考えを強権的に社員に行わせる事を自慢話として語っています。

 現在の日本では、一部の強者・富裕者のみがより強く豊かになり、その一方で、それ以外の人々は着実に弱く、貧しくなっています。
 そのような世の中を作ったのが、「小泉改革」に代表される、自民党の諸政策でした。
 今後も、このような人々が権力を持ち続ければ、このように力づくで弱い人を従わせ、収奪する傾向がより一層ひどくなるでしょう。
 冒頭の、石破氏の発言は、それを象徴するものなのだろうな、と思いました。