憲法九条で核攻撃は防げない?

 憲法九条を変えようとする勢力がよく主張する言説に「では、実際に核ミサイルが飛んできたら憲法九条で日本は守れるのか?」というものがあります。
 連日のように報道される「北朝鮮の脅威」だの「中国軍機が尖閣付近を移動」などを見て恐怖感を植え付けられている人などは特に、このような主張はもっともだと思ってしまうかもしれません。
 しかしながら、実はこの言説には根本的な誤りがあります。なぜならば、他国と交戦できる軍事力があっても、核攻撃を止めることなどできないからです。これは歴史的事実によって証明されています。

 人類史上、実際に行われた核攻撃は、1945年8月の広島と長崎です。つまり、「核兵器が日本に飛んできて爆発し、多くの人々を虐殺した」わけです。
 しかしながら、当時の日本には不戦憲法などありません。もちろん、戦力も保持していました。
 しかも、単なる「戦力保持」などというレベルではありません。若い男性は学生も含め、ことごとく兵隊に取られました。さらに、一般庶民の調理器具まで軍需品として供出させられていました。核攻撃をされた、1945年の国家予算に対する軍事費の比率は72.6%です。
 それだけ軍事に力を入れながら、二回の核攻撃を防げなかったわけです。
 つまり、戦争できる憲法と強大な軍隊を持ったところで、国民を核攻撃から守るのに何ら役に立たない、という事は、歴史が証明済みなわけです。

 では、一体なぜその、「軍事大国」だった日本にだけ核兵器が落とされたのでしょうか。
 もちろん、その要因は一つではありません。アメリカの戦後を見越した政策や人種問題など、様々なものが重なった結果だと考えられます。
 ただ、根源的な理由はやはり、アメリカと日本が戦争状態だったから、となります。そして、その戦争は、日本軍隊によるアジア侵略がきっかけで始まったものでした。
 つまり、戦争が可能な憲法を保持し、軍隊を強化し続けて戦争を行った事がもたらしたのが、「日本への核攻撃」だったわけです。

 この「軍事力が国を守るどころか、自国への攻撃の原因になる」というのは、現在も変わりはありません。
 連日、報じられているシリアについても、「化学兵器を使った」ということを口実にアメリカはシリアを攻撃し、一般市民を虐殺する計画を立てました。
 もちろん、そのアメリカの計画に道理はありません。万が一、アメリカの軍事介入が実現したら、死傷者がさらに増えるだけの結果しか産まないでしょう。
 とはいえ、シリアが保有する化学兵器という「軍事力」が、一般国民をより一層危機に晒している、というのもまた事実です。
 他にも、その軍事力ゆえに相手が攻撃の口実となった事例は山ほどあります。

 ここまでくれば明らかなように、「不戦憲法を堅持して、核ミサイルが飛んできたらどうすればいいか?」などという問いに対する答えは、「国家の交戦権の有無と、核兵器を防ぐことには何ら関連性はない。むしろ、交戦権があったほうが核ミサイルが飛んでくるリスクは高い」です。
 繰り返しになりますが、そのような事は70年ほど前に自国で起きたことをちょっと考えれば簡単に解ります。にも関わらず、核攻撃の不安を煽る事によって、憲法九条を変えようとする人々がいるわけです。
 また、そのような人々の多くには、ある共通点があります。それは、70年前に日本が行った侵略戦争を正当化したり、当時の日本が行っていた事を復活させようとしている、という事です。
 当時の日本政府は、一般国民の安全など二の次、三の次でした。同様に、現在、「核ミサイルが飛んできた時、憲法九条で防げるのか?」などと主張する人々が、一般国民の安全を重視しているのでしょうか。彼らの主張を読んだり聞いたりする際は、そのへんも十分に考慮に入れる必要があるでしょう。