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なんの「心」が傷つくのか

 愛知県の小学校の校長が、新聞社から配られる「写真ニュース」にある、イラクでの捕虜虐待の写真を「子供の心が傷つく恐れがある」と言ってはがしたそうです。
 この談話だけだと、「捕虜虐待写真」が視覚的に「子供の心を傷つける」と認識して、写真をはがしたみたいに読めます。ならば、写真をはがした代わりに、自分で「今、イラクでは、多くの人が殺され続けています。また、捕まった人もアメリカ・イギリスによって、人間とは思えないようなひどい仕打ちを受けています」とでも文字で書いて張れば、子供の心を傷つける事なく、ニュースを伝える事ができます。
 それはしていないとなると、この校長氏の主張は「イラクで捕虜虐待がある」という事実を伝える事が、「子供の心を傷つける」事なのでしょうか。となるとイラクでなければいいとか、現在行われている戦争でなければ「心を傷つけない」という事はありえませんから、このこの校長の「教育」方針のもとでは、第二次世界大戦をはじめ、あらゆる「戦争」「虐殺」「虐待」を教えられない事になります。

 となると結局、この校長氏の主張は「アメリカが行い、日本が追従しているイラク戦争で、このような残虐行為が行われている事を知られると、子供の心が傷つく」と解釈せざるをえません。つまり、「傷つく心」というのは、人間としての感性とか精神を意味する「心」ではなく、「アメリカの属国民としての心」なのでしょう。
 彼のような「心の教育」を真に受けて育てば、「アメリカが悪い事などするわけがない」という「属国民」が育つのでしょうね。戦前で言うところの「小国民」とか「臣民」の現代版というわけです。

採点

 名古屋で、「イラク派兵の是非」を試験問題にして、「賛成」を0点、「反対」を5点とした日本史の教師のニュースがありました。この人がなぜ「イラク派兵はよくない」と考えるに至ったか分かりません。しかし、自分のやった「採点権を利用して、生徒にイラク派兵反対と書かせる」という事が、多数の議席を利用して派兵を強引に推し進めた自民党政府と同レベルでしかない、という事に気づかなかったのでしょうか。

 ちなみに私の高校3年の時の日本史の教師は、若くて気さくで冗談なんかを飛ばしながら、かつ大学受験にあわせた効率のいい授業をする人でした。1月の最後の授業の時、その先生は第二次大戦に関する項目を普通に進めました。そして最後に、「下半身の服を剥ぎ取られた現地女性と日本兵の『記念写真』」を見せました。特に何か主張するわけでもなく、ただ「こういう事実があった」という事を淡々と説明していました。私自身はその「記念写真」はすでに知っていたので、それに対する驚きなどはありませんでした。しかし、その先生の「最後の授業」は今でも鮮明に覚えています。

 ところで、新聞の投書欄を見ていたら、72歳の女性が1944年、女学校で「日本は戦争に勝つか」という試験問題が出て、その中で一人「わからない」と書いた生徒がいたところ、本人は厳しく叱責され、学校レベルでの大問題になったというのがありました。
 こんな「昔話」、10年くらい前に聞いたら「当時の教育は異常だったんだな」という笑い話ですむのでしょう。しかし、東京での異常な「日の丸・君が代」の押し付けや、久留米の「君が代」を歌った時の「声の大きさ」を採点するなどというニュースを見ていると、「当時も今も変わらないんだな」としか思えませんでした。
 いつの時代にもいろいろな「教育者」がいるわけですが、いずれにせよ、自分が持つ「権力」を押し付けるような「教育」だけはしてほしくないものです。