屈しないテロと屈するテロ

 イラクで日本人が捕らわれ、「自衛隊を撤兵しなければ殺す」という犯行声明が出されました。対する小泉首相は即座に「自衛隊は撤兵しない」と宣言。その発言を受けて、日本人は殺されました。
 それに対して首相は自衛隊派遣が事件を招いたとの批判については「私はそうは思っていない。テロはイラク戦争前から、全世界で無差別に無辜(むこ)の市民を平気で殺害していた」と強調した。そうです。
 相も変わらず稚拙な「すりかえ発言」です。ここで問題になったのは、一般名詞としての「テロリスト」ではありません。具体的に日本人を襲撃して「自衛隊を撤兵しなければ殺す」と言った勢力の事です。そして仮に日本政府がフィリピンのように自衛隊を撤兵していれば捕らわれた日本人は解放された可能性は高かったでしょう。その事を問われているのに「過去にテロで殺された無辜な市民はいくらでもいた」などと言っているのですから、回答になっていません。
 このような発言を堂々とできる原因として、「とにかく『テロに屈しない』と言えばいい」という感覚があると思います。ところで、その小泉首相が敵視する「テロ」とは一体どんなものなのでしょうか。

 辞典サイトを引いたら「テロ」は「テロリズム」の略称とのことでした。その「テロリズム」は、一定の政治目的を実現するために暗殺・暴行などの手段を行使することを認める主義、およびそれに基づく暴力の行使。テロ。となっていました。
 これを元にすると、今回の日本人惨殺事件の犯人の行為はもちろん「テロリズム」ですが、イラクを中心とした中東でアメリカが行っている事も「テロリズム」の要件を満たしています。なにせ「石油産業や軍需産業などの収益増加、イスラエルの権益」などの政治目的を実現するために、「(イスラエル政府による)暗殺」「暴行」の行使を認め、かつ自らもイラク人相手にとんでもない虐殺を行っているわけですから。
 そのアメリカは、春先に数百人を虐殺したファルージャを連日攻撃し、さらにまた大規模殺戮を計画しているようです。この攻撃の口実も、「テロリスト」が「ファルージャに潜伏しているとみている」だの「選挙を妨害するためイラク市民を標的とした大規模な自爆テロ攻撃を計画しているとの見方もある」だのといった不確定情報です。
 つまり、一年半前の「大量破壊兵器」同様が「テロリスト」に変わっただけ。仮にファルージャに「テロリスト」が潜伏してしようとしまいと、アメリカ軍がイラクの一般市民を大量虐殺する事だけは変わりがありません。恐るべきまでの「暴行などの手段を行使することを認める主義・およびそれに基づく暴力の行使」ぶりです。

 ところが、小泉首相を初めとする自民党政府はそのような「テロ行為」は一切糾弾しません。それどころか、世界全体の中でも突出したアメリカ追従振りを見せています。そして、400億とも言われる巨額な税金を使って自衛隊を派兵し、米兵や軍需物質の輸送までしています。一方、アメリカ軍のヘリが日本の大学に墜落し、防護服を着た米兵がそれを処理するような事態が発生しても、抗議をするどころか「夏休み」を口実に何をしないだけ。後日には閣僚にヘリ操縦士の技量を誉めさせました。その姿勢は「屈した」を通り越して「完全服従」です。

 結局、小泉首相を初めとする自民党政府が「屈しない」のは「暴力・殺人によって物事を自分の思う通りにしよう」という思想である「テロリズム」ではありません。日本も積極的に関与しているイラク侵略に対して抵抗しているしている勢力に「屈しない」だけの事です。
 「その勢力との戦い=アメリカへのより一層の服従」のためには、日本人一人の命などどうでもいいのでしょう。即座の「自衛隊派兵継続宣言」並びに、日本人が殺された後の発言を読んで、そのような考えが小泉首相の「テロに屈しない」であるのだと、改めて痛感しました。