月別アーカイブ: 2004年6月

言葉の重みと誠意

 小泉首相が、日米首脳会談で、自衛隊のイラク多国籍軍参加を明言しました。こういう重大な事を、国民に向けてする前にブッシュ大統領に言うあたり、小泉首相が日本の「主権者」を誰であるかと認識しているのがよく分かります。
 それにしても、あそこまで「多国籍軍」の中軸となる米兵の虐殺・捕虜虐待行為が明らかになっているのに、相も変わらず「人道支援」「復興支援」などと言いつづける神経も、それをそのまま報道する神経も理解できません。なぜ「征服支援」と素直に言えないのでしょうか。
 ついでに言うと、今度は明確に「軍」に加わるわけです。これまで「派遣」と報道し続けてきたマスコミはやはり「多国籍軍に派遣」などという表現を使うのでしょうか。それとも、これを機に開き直って正直に「派兵」という言葉を使い出すのでしょうか。

 あと、この会談で拉致被害者と北朝鮮で結婚した、米軍脱走兵のジェンキンス氏の処遇についての話がでました。ブッシュ大統領が「現在も米兵として陸軍は四つの異なる罪で手配している」と説明したのに対し、首相は「本当にジレンマだ」などと答え、結論は出なかったそうです。という事は、ジェンキンス氏に会った時に即興で作成したという念書には何の意味があったのでしょうか。まあ、最初からだますつもりで、万が一「念書」に釣られて来日したら、適当な理由をつけてアメリカに引き渡すのが最初からの予定だったのかもしれませんが。これまでの「公約」の処理などでさんざんやっている事なので、仮にそうなっても驚きもしませんが。
 それにしても、本当に「対アメリカ」を除くと、何を言わせても言葉の重みや誠意が一切感じられない人間ですね。

欠陥隠し

 今から十数年前、通産省(現産業経済省)のキャリア官僚が、地方の大都市でそこに拠点を置く三菱系大手企業の幹部たちと会合を持った。(中略)通産官僚はある一人の幹部に物陰に引きずり込まれて、ひそひそ話しでこう言われた。「三菱自動車の車を買ってはいけません(以下略)」と。さすがにこの官僚も驚いた。
という記事を、1969年に日経に入社して長年記者を勤めたあと、関連会社で雑誌の編集長などを歴任した人が書いていました。
 記事のほうは「いかに三菱自動車の品質が悪いか」が主旨のようです。しかし、あれだけ不具合と隠蔽がさんざん報道されているなか、このような「死者にムチ打つ」ような記事を今さら見ても、「三菱自動車の製品の質」という点では、役立つ情報はありませんでした。

 ただ、その本題以外の点では、いろいろと興味深い事実が読み取れました。この記事によると、すでに10数年前に、三菱自動車の品質の悪さは、グループ内企業を通して通産省(当時)にまで伝わっていたわけです。そこまで名をはせていながら、何の対策も取られませんでした。
 こうなると、これまで不良品が表に出なかったのは、三菱自動車の「隠蔽工作」が巧妙だったと言うよりは、監督官庁が見て見ぬふりをしていただけだった、と考えざるをえません。もちろん、いくら大グループとはいえ、品質の悪さを知りながら、「オフレコ」の席でしかそれについて明かさないというグループ企業の幹部にも問題はあります。
 当然、そのあたりの、なあなあの関係を築くためには、記事の冒頭にあるような「官僚と幹部の会合」も重要な役割をしたのでしょう。
 結局、この欠陥自動車問題は、一企業の技術力ならびに倫理感の欠如だけで起きた問題ではない、という事です。財・官が一体化して、「都合の悪い事は無かった事にする」という体制をとりつづけた結果生じた問題と言えるのではないでしょうか。

 ところで、このような古い裏話を聞かされるほどですから、この記者氏と官僚氏の付き合いは、長さといい深さといいかなりのものなのでしょう。にもかかわらず、この10年以上前から内部では有名だった三菱自動車の品質の評価の低さは、この期に及ぶまで記事にはなりませんでした。
 このことは、官(もしくは財)とマスコミの関係がいくら緊密になっていても、一般の国民にとっては有益な報道はなされない、という事を意味しているように思えました。

質の低下

 佐世保で発生した小学生殺人事件ですが、相も変わらず、皮相的な報道が目立ちます。最初は「インターネットにひそむ闇」で次は「影響を与えたTV・映画」。あまりにも皮相的すぎます。別に、インターネットがなくて、「バトルロワイヤル」を見ていなければ、このような事件が起きなかった、などという事にはならないと思うのですが・・・。
 今回の事件の衝撃性というのは、「従来の事件よりさらに低い年齢の人による殺人」にあるはずです。そのような殺人に対する禁忌の低下についてではなく、皮相的な事ばかり報じているわけです。本質に全然目をむけずに「商業的価値のあるネタ」ばかりあさるあたり、相変わらず進歩がありません。

 もっとも、この件に関する閣僚の発言に比べれば、「進歩がない」報道はまだマシと言えるかもしれません。まず、防災担当大臣が「元気な女性が多くなってきた」と言い、それを「擁護」する形で財務大臣が「若いころ、放火は女性の犯罪だった。男もやりますが、どちらかというと女の犯罪。カッターナイフで首を切るのは女性もやるが、圧倒的に大人の男の犯罪でした」と発言したそうです(参考サイト)。
 人を殺すのは「元気なこと」で、「男女差の変化」と関係があるとでも言うのでしょうか。見当違いなどという言葉では論評できないほどの「たわごと」です。このような見識の連中が、「防災」や「財務」の責任者であるわけです。これでは、生活の安全も国家財政も良くなるわけがありません。
 私は昔から自民党が嫌いで、閣僚などの「不見識発言」はいろいろと聞き、その度に不快感をおぼえていました。とはいえ、同じ「不見識」でも、より質が低下しているように思えます。

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