今から十数年前、通産省(現産業経済省)のキャリア官僚が、地方の大都市でそこに拠点を置く三菱系大手企業の幹部たちと会合を持った。(中略)通産官僚はある一人の幹部に物陰に引きずり込まれて、ひそひそ話しでこう言われた。「三菱自動車の車を買ってはいけません(以下略)」と。さすがにこの官僚も驚いた。
という記事を、1969年に日経に入社して長年記者を勤めたあと、関連会社で雑誌の編集長などを歴任した人が書いていました。
記事のほうは「いかに三菱自動車の品質が悪いか」が主旨のようです。しかし、あれだけ不具合と隠蔽がさんざん報道されているなか、このような「死者にムチ打つ」ような記事を今さら見ても、「三菱自動車の製品の質」という点では、役立つ情報はありませんでした。
ただ、その本題以外の点では、いろいろと興味深い事実が読み取れました。この記事によると、すでに10数年前に、三菱自動車の品質の悪さは、グループ内企業を通して通産省(当時)にまで伝わっていたわけです。そこまで名をはせていながら、何の対策も取られませんでした。
こうなると、これまで不良品が表に出なかったのは、三菱自動車の「隠蔽工作」が巧妙だったと言うよりは、監督官庁が見て見ぬふりをしていただけだった、と考えざるをえません。もちろん、いくら大グループとはいえ、品質の悪さを知りながら、「オフレコ」の席でしかそれについて明かさないというグループ企業の幹部にも問題はあります。
当然、そのあたりの、なあなあの関係を築くためには、記事の冒頭にあるような「官僚と幹部の会合」も重要な役割をしたのでしょう。
結局、この欠陥自動車問題は、一企業の技術力ならびに倫理感の欠如だけで起きた問題ではない、という事です。財・官が一体化して、「都合の悪い事は無かった事にする」という体制をとりつづけた結果生じた問題と言えるのではないでしょうか。
ところで、このような古い裏話を聞かされるほどですから、この記者氏と官僚氏の付き合いは、長さといい深さといいかなりのものなのでしょう。にもかかわらず、この10年以上前から内部では有名だった三菱自動車の品質の評価の低さは、この期に及ぶまで記事にはなりませんでした。
このことは、官(もしくは財)とマスコミの関係がいくら緊密になっていても、一般の国民にとっては有益な報道はなされない、という事を意味しているように思えました。