政治業者は「国民」をどう認識しているか

 この5年間で行われた「小泉改革」は、「国民に痛みを押しつけて格差社会を作ることにより、一部の層だけ大儲けする」というように日本の社会構造を「改革」したものでした。そして、安倍新首相もその路線をより露骨に進めようとしています。
 その結果、生じているのが、大企業の空前の利益と、それに反して下がり続ける勤労者の賃金です。請負などの非正規社員は超低賃金に泣かされ、ある程度安定している正社員も、労働時間は増える一方です。
 この傾向は今後も変わらず、さらに現在の財界が目指しているのが「残業のつかないホワイトカラーを増やす」なわけです。したがって時給換算にすれば、今後の働く人の賃金はさらに激減する一方になるわけです。
 その低賃金・長時間労働によって大企業の利益は増えました。それが「改革の成果」になっているわけです。

 さらに「国際競争力」のために法人税をさらに下げ、「経営者の働く意欲を削がないため」に所得税の最高税率も下げようとしています。その一方、「財政再建のために」という事で消費税は上げようとしているわけです。
 他にも老人医療費を増やし、障碍者への福祉も切り捨てています。特に標的にされている老人の被害は深刻で、「生活苦のために80歳の夫が78歳の妻を殺して自殺」などといった事件が頻繁に発生しています。
 このように、一部の金持ちがさらに金持ちになるために、その何万倍・何十万倍もの一般国民が、現在の生活水準も将来の安定も奪われている、というのが現在の日本であり、さらにその格差を広げようとしているのが、安倍新首相に代表される自民党政府の目標です。
 ちょっと、その「改革」で苦しむ多くの人たちの事をおもんばかれば、このような政治はできないと考えるのが普通です。しかし、自民党政府の面々にそのような観点は一切ありません。
 そのような事が平然と行えるのは、おそらくは彼らがそのような格差拡大によって苦しむ人の姿が見えないからなのでしょう。苦しい生活をしている人は全て「努力をすればそれ相応の結果を得られる」という論法により、本人達のせい、という事にして切り捨てています。一度そう割り切れば、その人たちがどのくらい辛い生活を送るかなどは、認識すらしていないのでしょう。

 未成年を含む若い年代の人が、あまり類例のない犯罪を行うと、「識者」がの談話として「現実感に乏しいゲーム感覚の犯罪」という論評が出てきます。
 しかしながら、この国民をゲームの駒のようにしか見ずに政治を行う姿を見ると、この「現実感の乏しいゲーム感覚」という言葉はむしろ少年犯罪よりも、自民党政府や財界の進める政策に当てはまるのでは、と思えてきます。

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