国民の安全と「核兵器保有論議」

 自民党の閣僚や党幹部が、事あるごとに「核武装論議の必要性」を語っています。その論拠を一言でまとめると「北朝鮮が核実験をし、金正日総書記はいつ核兵器を撃ち込んでくるかわからないほど異常だから、日本も核武装を考えるべきだ」になります。
 しかし、核武装をすることは、日本国民の安全に役立つのでしょうか。
 仮に北朝鮮が日本に核攻撃を行ったら、アメリカが「報復」という大義名分を得て平壌に核兵器を撃ち込むでしょう。つまるところ、日本が核兵器を持っていようといまいと、北朝鮮にとっては同じ話になるわけです。ましてや、自ら金正日総書記を異常者と決めつけているわけです。異常者でしたら、「相手が核兵器を持っていなければ攻撃し、所持していれば攻撃を控える」などという判断力を期待できないでしょう。
 つまり、「北朝鮮核攻撃抑止のための核武装」などと言うものは無意味です。ましてや、この自民党の核武装論者が何度も繰り返している「金正日総書記は異常だから」を援用すると、その無意味さは倍増するわけです。
 このように、彼らの「核武装論議が必要」という発言を解釈するだけで、「核武装することの無意味さ」が証明されてしまっているわけです。

 というわけで、「核武装すれば国民の安全度が増す、などという事はない」というのは、ちょっと考えれば簡単に分かることです。にも関わらず、そのような考え方で核武装やそれに準ずる軍備増強を進める政府の指導者は各国にいます。その代表例は、彼らが事あるたびに名前を挙げる金正日総書記でしょう。
 実際、先般の核実験により、北朝鮮には国連で制裁決議が下っています。核実験を行えばそのような事態が生じる、という事はちょっと考えれば分かるかと思われます。にも関わらず、なぜ国民の食料すら確保されていない国が核兵器を開発し、実験まで行うのか理解に苦しみます。
 その核保有の理由として、北朝鮮の国連大使は米国の北朝鮮に対する金融制裁と敵対行為が北朝鮮の核開発の根本的な原因と語っています。つまり、「アメリカの脅威に対抗するため」なわけです。論法としても、その現実性のなさも、自民党の高官たちと何ら変わりません。
 とにかく、「強力兵器の保有」が国民の安全を守る事にならないのはここ数年の歴史が如実に物語っています。アメリカの世界最強の軍事力を背景にしたイスラム圏に対する圧力行為は、「NYテロ」という結果を引き起こしました。言うまでもなく、大量の核兵器はその際にアメリカ国民を守るのに何ら役に立ちませんでした。
 そのアメリカの行った、「報復」の一環は、「大量破壊兵器を持っている」という論法でイラクを攻撃することでした。そのかつてクウェートを侵略したほどの軍事力を口実にされてフセイン政権は滅ぼされ、イラク国民は現在も戦火の下で苦しむ羽目に陥っています。

 国を問わず、一部の政治業者は核兵器やそれに準ずる強力兵器で軍事力を強化することに熱意を示します。それが権力誇示のためなのか軍事産業との利権によるものなのか分かりません。確かな事は、彼らの満足度が上がることはあっても、その権力の近くにいない大多数の国民にとっては、百害あって一利のない事です。
 彼らとしては、「核兵器保持」と言えないため、「論議」という建前を持ち出しています。ならば、「彼らの論法と北朝鮮の論法の比較」や「権力者の満足度と国民の安全度の乖離」なども含めた突っ込んだ「論議」をぜひとも行って欲しいものです。

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