「事実上の撤回」でより明らかになった本質

 久間防衛相が、大学で行った講演で、原爆投下について、「しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」などと発言したそうです。
 一日たって「事実上の発言撤回」なる事をしたそうです。ところがその発言は「原爆を落とすのを是認したように受け取られたのは残念だ。(当時の)ソ連の意図や米国が原爆を落とすことを見抜けなかった判断ミスを含めての話だ」と述べ、原爆投下を止められなかった当時の日本政府への批判が真意だと釈明した。というものです。

 これは、「与党内での反発が強かったからとりあえず謝った」というだけで、認識ならびに言動としては何ら変化がありません。その象徴が、釈明会見とやらで述べた「ソ連参戦や原爆を見抜けなかった事が(当時の日本政府の)判断ミス」という一言にあります。これをもって「当時の日本政府への批判」としていますが、実は全くもって批判になっていません。1945年7月の時点で、すでに日本軍は各地で敗れて大量の戦死者・餓死者を出していました。その一方で「本土」のほうも、空襲により、「東京大空襲」を筆頭に、幼児も含めた多くの一般市民が虐殺されていました。さらに沖縄では、日本軍による「集団自決の強制」という国民の虐殺もありました。
 しかしながら、当時の天皇制政府は、「もう一度戦果をあげ、少しでも有利な条件で講話をしたい」という、自らの保身を優先して降伏を先延ばししていました。つまり、自らの体制を守ることを優先し、日ごとに死んでいく多数の国民の命など何とも思っていませんでした。言うまでもなく、もっと早い段階で降伏すべきであり、「アメリカが残虐兵器を使用する」だの「ソ連が参戦する」だのの予想がどうこう、という話ではありません。根本的に間違っている事であり、「判断ミス」などという次元で語れる事ではないのです。
 「釈明」がこれなのですから、いかに久間氏ならびに、与党内の反発が明確になるまで氏をかばった首相が、先の大戦に対して無知かつ無思慮であるかよくわかります。あわせて、「怒られたから渋々『撤回』した」だけで、「アメリカ従属」「国民の命を軽視」「天皇制政府の戦争を基本的に肯定」という考えに何ら代わりがない事も改めてよく分かりました。
 このような人々が、憲法を変えて再び戦争をしようとしているわけです。それによって国民にもたらされるのは何なのでしょうか。少なくとも、戦争をしようとしている人々には、それによってもたらされる国民の被害は「しょうがない」程度の認識でしかありません。まあ、それが鮮明になった、という意味では意義のある防衛相の発言並びに首相の擁護ではありました。