捜査権の濫用

 ここのところ、警察の捜査権が極めて恣意的に使われている事件が目立ちます。
 先日は、卒業式で君が代斉唱に反対して、入場前に週刊誌のコピーなどを配布した来賓の元教員が、卒業式の開始を5分遅らせたことで「威力業務妨害」で警察に家宅捜査され、「証拠品」の押収をされたとの事です。
 もちろん、「威力業務妨害」は建前で、実質的には「日の丸・君が代」に反対した事が捜査の対象となったと見るべきでしょう。
 他にも、自衛隊宿舎内に反戦ビラを配った人たちが「住居侵入罪」で逮捕され、長期間拘留されました。また、休日に共産党のビラを配った公務員が「国家公務員法違反」で逮捕されたという事件もあります。
 また、政治的思想とは異なりますが、著作権違反行為を起こす可能性の高いソフトを製作・配布した、という事で、「著作権法違反ほう助」で逮捕された大学助手もいました。
 最初の三つと最後の一つは、意味合い・目的ともかなり違うものです。とはいえ、いずれも「何でそれで逮捕されるのか」「それで逮捕できるのなら、他にも逮捕されうる事例が無数に生じるのではないか」という疑問が生じる、という点は同じです。
 特に今年になってからの傾向ですが、逮捕状を出すほうも、行使するほうも、権利を濫用しているようです。しかも困ったことに、失敗や悪行の隠蔽には長年の実績があるので、いくら誤りを犯しても、その責任をきちんと取る事はほとんどありません。万が一明るみになっても、一部職員の更迭くらいで、うやむやのままに終わってしまいます。つまり、向こうとしては「やり放題」なわけです。
 さらに、民主政治において、このような暴走を批判する立場にいたはずのマスコミは、商業化がより一層進行しています。収益を挙げるためには、警察と対立するより、仲良くしていたほうが得、という事もあり、ほとんどの社が批判はしません。それどころか、「警察が逮捕=有罪確定」という立場の報道をして、警察の後押しをしています。
 どんな権力でも、監視する体制がしっかりしていなければ、腐敗したり暴走したりします。その結果、被害をこうむるのは一般市民なわけです。このような状態によって運営される社会がどのようなものになるか、非常に不安です。