マスコミの「権力監視」

 昔から、マスコミの役割として「権力監視」というものが言われています。そして、当のマスコミも、自らそれを宣伝しています。
 確かに、一部の政治家・政党・官僚に対しては、日頃から批判記事を書いているように見えます。たとえば、「脱原発依存」を宣言した後の管首相(当時)に対しては、感情的な言葉までまじえて、激しい熱意で批判報道をしていました。同様に、原発事故の被害を受けた地域を「死の町」と言った閣僚も徹底的に叩かれました。
 そのように、一部の政治家については、そのような姿勢を見せることもあります。しかしながら、それ以外の「権力」に対しては、「監視」とは程遠い事しか書いていません。

 その象徴は、「財界総理」とも言われる経団連会長およびそれに準じる財界幹部の発言に関する報道です。彼等は厳然たる権力を持ち、それによって日本経済に影響を与えています。
 しかし、マスコミはその発言を無批判に報じるだけです。特に、財界と政界の意見が食い違うような事が生じると、政治家を批判しますが、財界幹部は批判しません。もし、本当にマスコミが「権力監視」をしていると思っている人がその日の新聞を読めば、「財界の言っているほうが正しい」と思ってしまうでしょう。
 もちろん、財界の主張が常に正しいのならば、マスコミが「監視」する必要はありません。しかし、財界の主張に沿って政策が進められた結果、日本の経済はどうなったのでしょうか。
 確かに財界を構成する大企業は利益と内部留保を増やしています。その一方で、働く人が得る給与は減っています。要は「1%が儲けるために99%が損をする」という結果になっているわけです。
 そのような現実がありながら、マスコミは相変わらず、財界幹部の発言を、神の言葉であるかのように、褒めたたえています。
 また、その財界に忠実な政策を行う地方地自治体の知事に対しても同様です。彼らが失政を重ねて税金を無駄にしても、それを批判することはありません。一方で、彼等が派手な発言をすれば、これまた無批判で報じます。

 また、権力を濫用している組織として、警察があります。露骨に政治介入を行なっており、他の政党が行う政治活動は黙認しても、反権力・反財界的な政策を掲げる政党の活動については、わざわざ尾行した上で言いがかりのような理由で逮捕する、などという事を平然と行います。
 そして、今年になって盛んになった反原発などのデモにおいては、参加者の逮捕を繰り返しています。逮捕された人は拘留され、家宅捜索までされますが、もちろん犯罪を立件する事などはできません。つまり、典型的な不当逮捕なわけです。
 しかし、このような警察の行為に対しても、マスコミの「権力監視」機能は一切働きません。原発デモの不当逮捕においては、「参加者のうち、機動隊員を殴った12名が逮捕された」などと、不当逮捕をする側の立場で報道しています。
 常識で考えれば、街中をデモしている市民が、闘いのプロである機動隊員を殴れるはずなどありません。にも関わらず、そのような「権力側の発表」をそのまま記事にしているわけです。こんな事で「監視」などできるわけがありません。

 というわけで、いくつかの「権力」に対する報道状況を確認するだけで、「マスコミの権力監視」などは存在しない事がよくわかります。
 なお、冒頭で取り上げた管前首相などに対する批判報道ですが、これも本質的には「権力監視」ではありません。「政財官」の三者によって構築されている「権力」の方針である「事故が起ころうと原発推進」に逆らった政治家を叩いているだけの事です。
 つまり、政治的な権力についても、そのような「異端」は叩きますが、根源については「監視」など一切していないのです。
 たとえば、最近になって、日本に米軍基地を設置する際に様々な密約が存在した事が明かされています。しかし、そのような「売国的行為」をマスコミが批判する事はありません。それどころか、相も変わらず「日米同盟は国の基軸」などと言って、米軍の言いなりになるよう主張している有様です。
 結局、マスコミが主張している「権力監視」などというものは、建前でしかないわけです。それを真に受けてしまい、「権力を監視しているマスコミの主張だから、我々一般市民の側に立ったものに違いない」などと思ってしまうと、とんでもない事実誤認をおかしてしまう事になってしまいます。

 この「権力監視」以外にも、彼らが主張している建前と現実が大幅に乖離している事はたくさんあります。
 ちょうど今週は「新聞週間」との事です。この機会に、このような商業マスコミの掲げる建前と現実の違いを色々見ていけば、彼らが何のために存在し、誰のために記事を発信しているのかがより一層明らかになるのでは、と思っています。