普通の「いい話」を、別の目的で利用する新聞社

 昨日の朝、電車とホームの隙間に足を挟まれる、という事故があり、それを居合わせた多数の乗客が協力して電車を押し、救出した、というニュースがありました。
 それ自体は、当然ながら心温まるいいニュースです。
 ところが、それを報じた讀賣新聞の記事を見た時は、逆に心底不快な気持ちになりました。何故ならば、記事のタイトルが「中韓も驚き・感動…電車押し救助、世界が絶賛」となっていたからです(※21時22分に確認した時は「『日本、また世界驚かせた』電車押し救助を絶賛」と修正されていました)

 確かに、写真にあった「多くの乗客が一列に並んで電車を押している」というのはインパクトがあります。とはいえ、これが「日本人ならでは」などと何故主張することができるのでしょうか。
 讀賣の記事には、イタリア人や中国人がネットで「自分達には真似できない」みたいなコメントをネットに書いたことを取り上げています。
 しかし、常識で考えればこれは謙遜です。それを見て「我々日本人は、イタリア人や中国人より素晴らしい」などと、もしこれを書いた記者が本気で思っているのでしょうか。
 もし、「報道」として「このような事は日本人にしかできない」と書くならば、国内外の類例を何十件か集め、「他の国の人は乗客を見捨てるが、日本人だけは必ず助ける」という立証をする必要があります。もちろん、この記事ではそのような事は行われていません。
 ちなみに、12年ほど前、山手線でホームからの転落事故が起きた時、見かけた人が線路に飛び込んで助けようとして巻き添えになった、という事件がありました。その助けた人の一人は韓国人だったのですが…。
 ましてや、最初の見出しである「中韓」などと、本件と何ら関係のない国の名前をわざわざ出す必要など何一つありません。さすがに、これは批判が集まって見出しを差し替えたのでしょうが、そのような見出しを書くこと自体が非常識です。

 繰り返しになりますが、元の人助けは、普通に報じていればそれだけで十分に心温まる話です。
 しかしながら、それをネタにして「このような事が出来るのは日本人だけだ」などとう形で仕上がったこの記事は、歪んだ優越意識を煽っているとしか言いようがありません。
 自分達が他の民族より優れている、と思うのは非常に危険です。その考えを元に、数百年前の欧米列強は、アジア・アフリカ・南米などで残虐行為を繰り返しました。
 また、日本も、70年ほど前にナチス・ドイツとともに、その「優れた民族」という思想の元に、国内外に多大な迷惑をかけました。
 そのその70年前、讀賣新聞は当時の国家・軍部と一体となって、事実と異なる情報まで流して、戦争遂行に協力し、多くの人の命を間接的に奪いました。
 この異様な見出しならびに記事を見た時は、この新聞社は再び70年前と同じ事を繰り返したいのだろうか、と心底不気味な気分になりました。