「経費削減」を美徳とした結果

 日本では昔から、「経費削減」は素晴らしい事だ、という認識がマスコミ報道の影響もあって「常識」と化していました。
 「日本一の企業」であるトヨタの「乾いた雑巾を絞る」などという異常な言葉が、聖句であるかのように持て囃されていました。
 そこで「搾り取られた」のは、トヨタで働く人や、部品などの下請け業者だったわけですが、それらの人々が省みられる事はありませんでした。
 そして、人員削減をして利益を上げれば、「偉大な経営者」になりました。工場を閉鎖し、多くの失業者を出して地域も消費も疲弊させ、自分だけは何億もの報酬を貰うカルロス=ゴーン氏のような人を、日本のマスコミが褒め称える、などという事もありました。

 そういう風潮の中、日本の会社のみならず、役所や学校などの公的な機関も、競うように「経費削減」を続けてきました。
 特に、バブル崩壊以降の「失われた20年」に入ってからは、その傾向は強まりました。
 そのような中で、最大の経費削減の標的となったのが人件費でした。
 何しろ、これを削減すれば魔法のように利益が増えるのです。
 たとえば、一つ売って1,000円の利益が出る商品があるとします。それを苦労して1万2千個売って、やっと利益は1,200万円です。
 ところが、100人の社員の月給を一律1万円減らします。すると、それだけで1年で利益が1,200万円になるのです。
 つまり、給与ルールを変えるだけで、商品を1万2000個売ったのと同じ利益を得られてしまうのです。

 もちろん、以前ならそんなことをすれば、労働組合などが黙っていなかったでしょう。
 ところが、この「経費削減礼賛」とほぼ平行して、日本では労働運動の弱体化が行われました。
 特に、国家レベルで不当労働行為を行い、マスコミもそれを後押しした、国鉄の労組解体はその象徴的な事件でした。
 その結果、大企業の労働組合は「労使協調」の名のもとに「企業従属」となりました。先日行われた連合の「メーデー」で共産党を除く全政党が招待され、安倍首相が演説した、などというのはその象徴でしょう。
 さらに、中小企業の社員をはじめ、派遣社員や非正規労働者など、労働組合にすら所属できない人が増えました。
 当然ながら、雇う側と働く側の力関係に大きな差が生じました。団結して対抗することができなくなってしまった以上、そうなるのは必然です。
 その結果、各企業はもちろん、役所や学校でも、賃下げを容易に行えるようになりました。さらに、非正規への置換えが進み、ますます「経費削減」が実現したわけです。
 そして、現在でもより一層の「経費削減」に向けて、様々な方策が立案されています。先日、自民党と財界が共同で出した「残業代ゼロ案」などもその一つです。実現すれば、大企業の人件費は、さらに節減でき、より一層の「経費削減」になるでしょう。

 では、その「経費削減」が進んだ結果、日本はどうなったでしょうか。
 確かに、節減された経費のおかげで、大企業は安定した営業利益をあげています。それを原資にした内部留保も飛躍的に増大しました。
 一方、「経費削減」の対象になった人々はどうなったのでしょうか。
 正社員の数は減り、しかも、多くの人が長時間労働・賃金低下に晒されています。
 おかげで、日本は「先進国」では唯一の「給料が下がり続ける国」となってしまいました。
 また、新卒でも正社員として就職できない人が多数存在するようになりました。
 その結果として増えた派遣社員・非正規労働者は、正社員並みの仕事をさせられながら、辛うじて生きていける程度の低賃金で働かされています。しかも、業績が下がれば即解雇です。
 そして、下請け業者も力関係の差で、工賃を上げることができません。その結果、元請けがいくら儲けても、多くの下請けは、利益が増えず、後継者不足で廃業する所も増えています。

 これが、「経費節減」を美徳として突き進んでいった結果です。
 それによって莫大な富を得たごく一部の人々を除けば、惨憺たる世の中になってしまいました。
 しかも、富を築いた人達はそれでも満足しません。「残業代ゼロ案」のようなさらなる「経費削減策」を打ち出し、より一層豊かになろうとしています。もちろん、その原資となるのは、その富裕層の何千倍もの数に登る、働く人・下請け業者の生活や財産です。
 果たして本当に「経費節減」とは優れたことなのか、また、「節減」されるのはいったい誰なのか、という事を一度立ち止まって考えなおしてみる必要があるのではないでしょうか。