誰にとっての「平和と安全」を保つのか?

 ちょっと前の話ですが、かつて米兵に性暴力を受けた女性の手紙を読んだ外務大臣が、「被害者の心情は受け止めなければならないが、軍隊があるから日本の平和と安全が保たれたとの一面がすっぽり抜け落ちている」「戦争抑止の機能への認識をもらえれば幸いだ」と反論(?)した、という事がありました。
 「軍隊があるから日本の平和と安全が保たれた」という事は、「日本の平和と安全が保たれなかったのは、軍隊がなかったからだ」となります。しかしながら、60年ほど前、歴史上最大の「日本の平和と安全が保たれなかった」事件の直接の原因は米軍の大量虐殺によるものであり、それを誘発したのは日本軍の侵略戦争だったわけです。
 さらに、「戦争抑止の機能への認識」などと言っていますが、現にイラクでは沖縄を根拠にしている部隊を含んだ米軍が戦争を行っており、それを自衛隊は兵站活動などで協力しています。つまり、現在進行形の「戦争推進の機能」を発揮しているわけです。それを「戦争抑止の機能」などと言っているのですから、悪い冗談にもなりません。

 だいたい、「平和と安全を保」ちに来ている軍隊が女性を襲ったり、ヘリを学校に墜落させるという事自体が意味不明です。
 これは日常レベルに置き換えると分かりやすいでしょう。たとえば、警備会社の社員が、そのビルで働いている人を襲ったり、「警備の訓練」と称して備品を破壊すれば、なんらかの賠償金をビルの持ち主から請求されるのが普通ですし、場合によっては契約を解除されるまであります。それを「文句を言うのはいいが、守ってもらっているのを忘れては困る」などといって警備会社の肩を持つビルの持ち主はいないでしょう。

 というわけで、普通に生活している立場からすると、全くもって理解不能な発言です。
 しかし、この大臣氏が所属している内閣のこれまでの言動からすれば、自然な発言と言えるでしょう。この内閣にとって、アメリカ政府の支持を得るのは至上命題の一つみたいなものです。それさえ守れれば、政権が維持できるという立場は、まさに「アメリカに守ってもらっている」わけです。冒頭の発言も「我々はアメリカに守り続けてもらうために、一介の性暴力被害者の発言など相手にできない」と解釈すれば、筋は通ります。もちろん、賛同はできませんが。
 「戦争抑止」についても同様です。イラクの戦争が泥沼化し、アメリカ人の兵士が死傷し、自衛隊員の安全が脅かされても、その被害が彼らに直接及ぶ事はありません。
 実際、60年前の敗戦の時も、当時の天皇制政府はいち早くアメリカに恭順の意を示しました。それにより、日本人だけで200万人以上の一般市民・兵士の命が失われた戦争を行ったにも関わらず、天皇制政府は、10数名の「A級戦犯」の命と引換に、権力の座に止まる事ができました。そして政治思想はもちろん、血縁においてもその流れをくんだ人々が現在の自民党政府の中枢におり、この外務大臣もその一人というわけです。
 当時と同じく、一般市民の命や生活がいくら脅かされても、自分達が安泰ならば、彼らにとっては「戦争抑止がなされている」となるのでしょう。

 このように考えていくと、彼らの言う「平和」だの「安全」だのが、普通に暮らしている我々の「平和」や「安全」とはかなり異なる概念である事がわかります。それを失念してしまうと、60年前同様、彼らの「平和」「安全」さらには「利益」を保つために、自らの「「平和」や「安全」を失う破目になりかねないでしょう。

誰にとっての「平和と安全」を保つのか?」への3件のフィードバック

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