核兵器の脅威から守ってくれないもの

 61年前、日本の広島で核兵器の実戦投入が行われました。そして3日後には長崎で同じ事が行われました。そしてあわせて20万を越す人が死に、生き残った人でも火傷や放射能により、61年たった今でも苦しんでいる人がいるわけです。
 この、歴史上最大の日本人虐殺行為が行われる中、一方で日本は他国を侵略し続けていました。もちろん、最初の侵略先である中国はもちろんですが、東南アジアだの南洋のサイパンだのポナペだのにまで、兵士を送っていました。
 一応、高射砲など、空襲への対処も行っていました。とはいえ、「空襲対策」の基本方針はあくまでも疎開などといったもので、「空襲を防ぐ」ではなく、「空襲は仕方ないから逃げろ」というものでした。その一方で、侵略継続のために、空襲の恐怖にさらされる国民から生活必需品を供出させたり、松の根を掘らせたりしていたわけです。
 もちろん、1945年の状況だと、日本近海の制空権も制海権も奪われていたわけです。したがって、本土に空襲があったからといって、中国や南洋の日本軍が即座に引き返して本土防衛に回る、という事ができるわけはありません。とはいえ、敵軍の空襲で一般市民が命を奪われている中で、兵隊が外国で侵略行為を行い、さらにその軍隊を維持するために国民が生活を削らされ、その果てに核兵器を落とされて大量の死者が出た、というのは一見すると奇妙な構図です。

 しかし、軍隊の本質がどこにあるかが分かれば、これは別に何ら驚くべき事ではありません。軍隊というものは、権力者の道具として働くためのもので、国民を守るためのものではないからです。戦前の日本軍における最高規範とも言える「軍人勅諭」を読んでも、「天皇や国のために忠誠をつくせ」とはありますが、「一般市民を守れ」みたいな事はいっさい書かれていません。
 したがって、核攻撃による一般市民虐殺に対して日本軍が何の役に立たなかったのは当然きわまりない事なのです。
 戦後、その日本軍はアメリカの下で改組されて自衛隊になりました。その自衛隊法の冒頭に掲げられた「自衛隊の任務」は、自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする。です。守る対象は「国」であって「国民」ではありません。
 商業マスコミではよく「災害救助の自衛隊」という形で報道されますが、それはあくまでも宣伝を兼ねた「副業」でしかありません。この事は、「日米合同の大規模な訓練」も「何十億もかけて飛行機を購入」というのも、全て戦闘行為のためであり、災害救助ためではない事からも分かります。
 つまるところ、天皇制政府の目的に従って海外を侵略し、その間に国民が核兵器に焼き殺された時代と本質的には変わらないわけです。
 アメリカで「ノーモア・ヒロシマ」と日本人が言うと「リメンバー・パールハーバー」と返される、という話があります。おそらく、これを言うアメリカ人は「攻められたのはお互い様」とか「先に仕掛けたのはそっちだろう」という意味で言っているのでしょう。その考え方には賛同できません。
 ただ、考えようによっては、この応酬は「真珠湾を攻める能力がありながら、広島を守れなかった」という1940年代前半の天皇制政府および日本軍を意味している、とも解釈できます。これは、「北朝鮮ミサイル基地先制攻撃論」などという事を政府高官が言う時代において心に止めたほうがいいかもしれません。
 それをもとに、現在において「ノーモア・ヒロシマ」を実現するために必要なものは何か、という事を考える事は重要でしょう。もちろん、過去の例から考えれば分かるように、その手段は「軍備拡大」ではありません。